こう見えても野球好き!な@odaiji さん曰く、。
ダルビッシュ投手・田中将大投手の活躍を始め、2016年にイチロー選手が3000本安打を達成し、日本人野球選手がMLBで活躍するのは何も珍しくなくなっています。
この日本人がMLBで活躍する流れを作ったのは日本人初のMLBプレイヤーであるマッシー村上選手ではなく、1990年代に渡米しNOMO旋風を全米で巻き起こした野茂英雄投手ですが、野茂投手に遅れること2年、アメリカの地を踏んだ長谷川滋利投手の活躍には考えさせられること、学ぶべきことがとても多くありました。
日本での成績は6年で57勝4セーブ。野茂投手の5年78勝と比べると年平均で6勝程度少なく、当時のマスコミも「長谷川は成功しない」といった風潮で語っていたのはなんとなく覚えています。
そんな長谷川投手がMLBで日本を超える9年間活躍し、主に中終盤の重要なポイントを任せられるセットアッパー・クローザーとして33セーブ・61ホールドを記録しました。渡米時の期待を遙かに超える成績を残した長谷川投手には「適者生存」という新しい環境での生き残り戦略があったのです。
本書は長谷川投手がメジャー4年目を迎える頃に書かれたもの。もう15年以上も前の本ですが就職、転職、独立など新しい環境に身を置く人は必読の一冊となることでしょう。
なぜか。
環境の変化に適応する実例をこれ以上リアルに描いている本がそうそう無いからです。
~ 目次 ~
厳しい高校野球部の練習、理解ある指導者の大学時代
長谷川投手は高校時代、3度甲子園に出場しています。
野球の名門校・東洋大姫路高校の三年間を
プロで苦労した時、そしてアメリカに渡ってからの辛い時も、高校時代に比べると、こんなもんまだ苦労じゃないな
と語るほどの大変さだったと語る長谷川投手。ただラッキーだったのは、エースとして投げた高校三年の時、当時のチームには珍しくリリーフエースがおり、投手として身体を酷使しませんでした。
長谷川投手は6回を投げ、その選手が後ろの3回を締める。そんな分業制が確立していた高校時代でした。
高校卒業後は立命館大学へ。当時の立命館大学は公立の進学校からの学生が多かったそうで、高校野球をしっかり学んだ長谷川投手は中尾監督からある程度自由に野球をさせて貰っていました。その中尾監督が長谷川投手の人生に大きく影響を及ぼすことになります。
大学野球は主にリーグ戦で、各カード3戦して2勝すると勝ち点が貰える仕組みです。だいたい土曜・日曜に2試合行われ、1勝1敗だったときに決着戦として月曜日に第3戦が行われますが、中尾監督からは
「おまえを土・日・月と3連投させることは絶対にない」
とあらかじめ起用法について明言されていたそうです。
昔も今も話題になるアマチュア選手(特に投手)の酷使問題ですが、長谷川投手は環境にも恵まれ、過度な起用をされずにプロに進むことが出来ました。
日本のプロで最初の環境適応
ドラフトでプロに入ったとき「プロでそこそこいけるだろうけれど中継ぎではないか」と評価されていた長谷川投手。これは後にMLBに進むときと似た評価だったそうです。
このとき、中尾監督から長谷川投手は後の人生の指針になる大きな言葉を贈られます。
選手がプロでやっていけるかどうかを判断する基準に、プロに入って『アジャストメントできるかどうか』という部分を見る。長谷川、おまえは絶対できる。
中学から高校、高校から大学へ進む時にも上のレベルで活躍し、プロに入る時にも活躍する自信を持っていた長谷川投手は、中尾監督の言葉で
「なぜ自信を持っているのか」
の根拠を得ました。金属バットの高校野球から木のバットの大学野球へ進む際にも、投げ方を工夫できていたんですね。
長谷川投手は高校でも大学でも一流選手でしたが「超一流」選手ではありませんでした。ただし、ずっと一流を維持していられたのは新しい環境に常に適応する、
アジャストメントする
能力があったからなのです。
能力があるのに新天地で結果が出せない。そんな人の多くは「己を知っている」けれど「敵を知らない」のかもしれません。長谷川投手の本を読む限り、長谷川投手は敵や新たな環境をつぶさに学んでいます。
その学びが「アジャストメント」の力に繋がっているんじゃないかと思います。
長谷川投手は日本のプロ野球で一線級の投手である証である「年間10勝(2桁勝利)」を6年間の在籍中4回記録します。
プロ1年目で縦の変化球をマスター
学生時代は「投げられたけれど必要無かった」縦の変化球・シンカー。プロ入り1年目で5連敗した際にシンカーを解禁し、研ぎ直します。
プロに入って「左打ちの打者を攻めあぐねる」という課題に向き合った長谷川投手はシンカーの活用で左打者を克服するのです。
このおかげで、5連敗を喫しながらも最終的には12勝9敗。その年の新人賞を獲得しました。
左打ちの打者に対する、シンカーを軸とした縦の変化は、この後MLBでも長谷川投手を助けることになります。
単一の環境に対するアジャストメントじゃないんですね。
その適応は、その後長い野球人生に良い影響を与えています。新たな武器の取り出し方、磨き方が外れないことは、長谷川投手の野球の学び方が独りよがりでなく、冷静に分析できている結果なのでしょう。
野茂投手のMLB行きに刺激を受ける
いち野球ファンとして、野茂投手のMLB行きは衝撃でした。当時のことを知らない人はビックリするかも知れませんが、野茂投手がMLBに行くとき、日本では野茂投手を批判する声ばかりだったのです。大バッシング。下手すると「国賊」扱いですよ。
本書と話がずれますが、こういう世間の声を気にせず自分の道を行く野茂投手は本当に己の強い人なのだなあと尊敬します。今でも僕の一番好きなメジャーリーガーは野茂投手です。
近鉄では1億4000万円の年俸を提示されたと言いますが、MLBのドジャースと約980万円のマイナー契約。しかも野茂投手がMLBに行く前年はMLBでストライキが発生し、戦争時を除いて唯一ワールドシリーズ(日本でいう日本シリーズ)が行われなかった悪名高い年の翌年のチャレンジでした。
野茂投手は大リーグでのルーキーイヤー・1995年に最多奪三振を記録して新人王。1996年にはノーヒットノーランを達成し、1998年には(意外ですが)日本人初のMLBでの本塁打を記録します。
日本で肩の手術を経験した野茂投手はMLBに進出した時にはストレートでぐいぐい押すスタイルでは無くなっていました。要所要所のフォークボールが冴え渡り三振を取るスタイル。
そのスタイルも、決して力で押していくタイプではない長谷川投手が「俺にも出来る」という自信を持つ根拠となります。
クレバーなMLBの契約
やがてMLB行きを勝ち取る長谷川投手。当時既にMLBの慣習でもあった、選手に代理人がついて契約交渉をするというスタイルを長谷川投手も活用します。
MLB初年度の契約に際し、長谷川投手が重要視したのは2年契約。長谷川投手の「経験を重ねてアジャストメントする」というスタイルから、1年契約の年俸を2年に分割してでも2年契約を勝ち取りたかったということなんですね。アジャストメントへの自信があるからこそ、周囲の「大丈夫?」の声にも結果を残すことを明言しました。
アメリカでの「アジャストメント」
その後の長谷川投手はアメリカ・MLBでの適応を計ります。
身体と心に関する工夫でMLBのレベルにアジャストメント出来るようになりました。
ウェイトトレーニング
今でこそ当たり前にあることですし、逆にやり過ぎによる弊害の議論が高まるウェイトトレーニングですが、長谷川投手はMLBで、独学・見よう見まねでウェイトを始めました。後に効果が現れ、どの投手でも生命線と言われるストレートの球速が向上することになります。
日本での常識にとらわれず、MLBの環境でMLBの常識を知り、それを試していける心の柔軟さを長谷川投手は持っていました。
メンタルトレーニング
メンタルトレーニングも、長谷川投手のアジャストメントのツールの一つになりました。
何もしない状態だと、例えば相手チームの選手に連打されたときなどに呼吸のリズムが速くなり過呼吸になってしまうのだそうです。
長谷川投手の場合、球場に必ずあるフラッグをしばらく見つめながら腹式で深呼吸することで自分が落ち着く時間を作るようにしました。
見るものがフラッグでなくても良いそうで、必ずその場にある対象物を上手く使って深呼吸できれば、メンタルトレーニングの対象になるのだそうです。
後に長谷川投手は「ウェイトトレーニングとメンタルトレーニングがシンクロしてメジャーで力が出せるようになりました」。
右打者へ対応できるように
日本に居たときの長谷川投手には、左の強打者の外国人選手がライバルチームにいました。西武ライオンズにはデストラーデ選手(両打ちだが対長谷川投手の時は左打ち)、近鉄にはブライアント選手。これら選手の対応のために覚えたシンカーが、MLBでも通用したそうです。
ところが当時日本に少なかった右打ちの外国人強打者が、当たり前ですがMLBにはごろごろいます。その対応に、前述のウェイトトレーニングによる球速上昇とメンタルトレーニングが合致したそうです。
ウェイトトレーニングでは、アメリカに来てから切れが落ちたスライダーという球種の切れが復活するという嬉しい副次効果もあり、対右打者への対応はウェイトの効果が出始めた夏頃から結果を出してこれるようになりました。
ここまで見て行くと、長谷川投手はMLBで活動するにあたり
・自分の持ち味を生かせるよう2年契約を結び
・1年目の夏までに平行して課題探しと対応を少しずつ行い
・夏以降にそれらの対応がシンクロ
という結果を見せています。
いずれも本来の運動能力もあるものの、心と頭での対応をとても真剣に考えている証拠ではないでしょうか。
アジャストメントは才能の一つ
長谷川投手がアメリカで成功する自信を持っていた大きな理由、それはどのレベルに行っても「アジャストメントする自信」があったからです。
高校なら高校のレベルのアジャストメント。
大学進学して大学レベルでのアジャストメント。
日本のプロ野球に進んでのアジャストメント。
MLBへ進出してのアジャストメント。
それぞれのレベルでアジャストメントできる能力があるため、高いレベルのリーグへ進んでも自分を適応させることができるんですね。
長谷川投手はアジャストメントするために3つの段階があると言います。
1)自分の欠点が分かる人
アジャストメントが必要な人は、何かが足りない人だというのは自明だと長谷川投手は言います。
欠点に目をつぶることは出来る。けれども最初から欠点を知ることは不可能だ、とも言います。日本で左の強打者を抑える術がなかった時。MLBで右の強打者を抑える術がなかったとき。何が欠点かを自分で考え抜くことによって発見してきました。
2)自分の欠点に対する処方箋を書く
欠点が分かったらどうするか。欠点を克服するための処方箋が必要になります。
長谷川投手はMLBの投手です。MLBで結果が出ないまま時間が過ぎるとマイナーリーグという、試合のための移動がバスになったり、食事がハンバーガーなどおろそかになったりする過酷な環境になってしまうため、MLBに居る間に処方箋を書き、修正に向かわなければなりません。
欠点を克服するための処方箋を限られた時間で見つけ、まとめる力が必要になります。
3)対策を実行する
欠点をみつけ、処方箋を書いたらそれを実行する力が必要です。長谷川投手はそれを
この部分が一番むずかしいし、「シンドイ」部分である
と言います。
だいたい、自分の欠点を直す作業というのは、辛いものである
と続ける長谷川投手、聖人君子ではないのでコメントも正直です。単調なウェイトトレーニング一つとっても長谷川投手は、目的があり、どんな工夫をしたら効果がより上がるかを工夫しながら行うから退屈にもならない、と言います。
単調な作業に自分なりの楽しみを見つけてこなす。
これも才能の一つなのかもしれませんね。
絶対的な長所がないからアジャストメントできた
長谷川投手は最後にこうまとめました。
長所を伸ばそうにも、伸ばすべき長所を僕は持っていなかった。だからこそ状況に応じてアジャストメントし、全体を伸ばす工夫をしてきた。
一点に特化するのではなく、バランスの良いピッチャーになろうと心がけた。
中学野球で全国優勝し、高校生として甲子園に3回出場し、日本のプロ野球でもMLBでも活躍している長谷川投手が「長所を僕はもっていなかった」と言うんです。
どの領域にせよ、僕らが長谷川投手以上に一流な要素を持っているものでしょうか?うーん、少なくとも僕は持っていません。
であれば、長谷川投手のようにアジャストメント力を持たなければその環境、その環境でフルに力を発揮することは出来ないのかもしれません。
局面局面で自分に足りない点を現象から分析し、見直す点を考え、克服してきた長谷川投手。それを、どの「場所」に属していても、そのレベルで修正していくことに超一流のアジャストメント力を感じます。
あなたは自分が今いる場での自分の欠点を見つけていますか?どうしたらそれが直るか、処方箋を持っていますか?その処方箋を実行していますか?