将棋 書評

【書評】プロ棋士の闘病記「うつ病九段」(先崎学)。同じ悩みを持つ頭脳労働者は必読

2018/07/20

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会社員のときに仕事が大変なときがあって、なんかの電車のホームで「ああ、このままフラッとホームから転落して、そこに電車が来たら死ぬんだろうなあ」と思ったことがありました。

今思い出したら、これはまずい。このとき仕事の生産性も良くなかった記憶があります。今生きててよかったです。

そんなことを思い出しながら読んだのが、先日発売になった本「うつ病九段」です。プロの将棋の棋士である先崎学九段が重いうつを患って回復に向かい、そのリハビリを兼ねて執筆された本。

最も状態が悪かったころから回復に至るところの記述が生々しくされています。また、プロ棋士ならではの回復のバロメーターも興味深く読めました。

心が弱っている人、周囲に心の弱っている方がいる人にお勧め、必読です。

著者は将棋界一のエッセイスト・先崎学九段

著者は「羽生世代」という将棋界の一大勢力の一人でもあり、一般誌に将棋を中心としたエッセイを軽妙に記す多彩な棋士・先崎学九段です。

彼のエッセイは将棋界の人間模様をユーモラスに描いてくれており、僕も良く読んでいます。知ってる人だけが楽しめるのではなく、将棋を知らない人にも「こんな人たちが将棋を仕事にしているんだ」というのが分かる、面白い本を書かれます。

そんな先崎九段が2017年の夏ごろから「一身上の都合により以降しばらくは対局を行わない」という発表があったときには僕も正直驚きました。

その時には理由も公になっておらず、ケガ?病気?引退を視野に?と僕も不思議に思い心配もしたのですが、それから約1年経ち、この書籍が発売されるにあたって、初めて著者がうつ病であることを知ったのです。

大問題に揺れた将棋界

今は藤井七段のブームが残っている将棋界ですが、その前に何か「事件」があったのを覚えている方はいますでしょうか?

2016年に、棋士が対局中にスマホで次の手をスマートフォンを使って「カンニング」したという疑惑が上がり、処分があったもののそれが冤罪と認められた事件です。将棋連盟はその棋士を処分をしたものの、2017年になって設置された第三者委員会の発表においてその棋士がカンニングした事実はまったく認めらず、将棋連盟の会長や理事が辞任し理事も半数くらいが解任されるという大事件となったのです。

当然、この件で将棋界は揺れに揺れました。本書でも、先崎九段の盟友で2017年に新しく会長になった佐藤康光九段が

あの温厚を絵に描いたような佐藤君が四ツ谷の居酒屋で「やってられねえ」と語気を荒らげ、ごろりと寝転がってしまったことすらある。

というほど、次の世代へもストレスが引き継がれていたのです。

そのころ先崎九段は監修した漫画「3月のライオン」の映画が封切りとなり、将棋界からの宣伝担当も兼ねて多忙な毎日を送っていました。

・映画の宣伝の仕事を受けすぎた多忙状態
・揺れる将棋界で戦う佐藤新会長のサポート
・カンニング問題からの人事に関する先輩棋士からの圧力

などがあり、心の余裕がごっそり持っていかれてしまっていました。

そんな中、先崎九段は2017年7月から仕事である将棋の対局に変調をきたすこととなりました。対局中に頭が回らなくなるだけでなく座るのが精いっぱい。負け方も無残なものだったと言います。

そのころには家に一人でいると猛烈な不安があったり、決断力がとにかく鈍っていることを自覚し始めたそう。

自宅から対局する場所へ通うことすらなかなかできず、電車に乗る(ホームに立つ)のが怖く、死のイメージだけが付きまとう状態になっていったそうです。

幸い先崎九段のお兄さんが精神科医だったらしく、先崎夫人とお兄さんが連絡を取り合って、入院を強く勧め、入院せざるを得ない状態になりました。

入院、そして初めての不戦敗

棋士も人間ですから、戦えないほど体調が悪ければ不戦敗ということもあります。先崎九段は10代でプロ入りしてからおよそ30年、1000局以上指して不戦敗はただの一度もありませんでしたが、どうしてもいやだった不戦敗を選択せざるを得なくなってしまいました。

7月下旬から約1カ月の間、慶応大学病院に入院することになったのです。

退院してからも苦悶の日々が続く

8月末に退院した先崎九段の公式戦復帰は実は翌年となる2018年の6月。ほぼ1年の間先崎九段はトーナメントプロとしての公式戦の場から距離を置くことになってしまいました。

退院したからといってすぐに頭が冴えわたって健康な時の実力を取り戻したわけではありません。頭が回らずアマチュアレベルにまで落ちてしまった棋力を、うつを悪化させないようにしながらじっくり時間をかけて取り戻していったのです。

うつを患って決断力が失われたというのはプロ棋士としては致命的です。個人競技ですから、直接的に周囲に支えられて勝負するというわけにもいきません。

こころの病の回復に楽も辛いもないとは思いますが、一人で戦い続けなければならない勝負師は、例えば負担の軽い業務からの復帰を検討できる会社組織よりは「職場復帰」の条件は厳しいのではないかと想像します。

プロの技量を持つライバルと勝ち負けを競えるレベルにならなければ意味がないわけですからね。うんうん考えるのが仕事の最低条件になっている人の回復方法は、これまでそんなに公になっていないのではないでしょうか。

頭脳アスリートはどのように回復したのか

そういう立場の人がどのようにリハビリをし、回復していったのかというのは治る過程として興味深いことでしたし、いち将棋ファン・いち先崎ファンとしてもどのように大変な思いをされていたのかを知られたことには意味があったように思います。

プロ棋士の回復の手記としての本ですが、心を病んでしまった方、心を失いかけてしまった方がお医者さんから言われる「散歩する」「寝る」「薬飲む」「難しいことを考えない」以外の、実際の仕事に向けて回復していく様を描いた貴重な本でした。

アスリートレベルの頭脳労働者のうつからの回復が記された手記はなかなか無いのではないでしょうか。

そして、周囲からのどのような言葉や行為がうれしかったのかが素直に書かれていて、接し方に困っている方にとっての参考書にもなるでしょう。

自分が、家族が、職場の人がうつで悩んでいるのであれば、ぜひ一度読んでみてほしい一冊です。

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