拝啓@odaijiです。
前回までの観察力
観察力を養う
【観察力を養う 2】 「いつも」を意識する
観察力を養う上での一つに、正しいフォームを知ることがあります。
できれば「正しいフォーム」を知りましょう。
・スキーで適切な指導者に教わった人はフォームが整っているから、乱れている人の何が乱れているのかが解ります。
・習字をやっている人はきれいな字のバランスを知っているから、汚い字の何が汚いかがみえます。
また、崩している字の何がきれいなのかも体感できます。
・写真が得意な人は自然と「綺麗な構図」を体得していますし、戦略や戦術を用いるゲーム/スポーツをしている人は「この戦法は美しい」というのを感覚で分かります。
そして、意味があって「崩している」のと、正しいフォームを知らないから「崩れている」という違いが解るには「正しいフォーム」=「本質」に近い所を知ることが大切というわけです。
余裕があれば「なぜ正しいのか」をかんがえてみましょう。なぜ正しいのかが解ると、なぜ正しくないのかも解ります。
なぜ正しくないのかが解れば、それは観察力につながります。
「正しい」の基準はいろいろあります。
法的、というのはいろいろ置き換えてほしいところです。法律でなく、慣習だったり暗黙のルールだったりする場合もある。要はその場その場におけるスタンダードということ。
上の三つに当てはまる何かを考察していけば、それは観察力に繋がります。
・法的にも正しく、自分の基準でも正しい
この場合、観察力としては結構難しいです。物事が自然に流れてしまっているので、その2で述べた違和感を感じることもしにくい。
なぜ正しいと思うのか、を常に意識してみること。
自分が正しいと思っていることは本当に正しいのか、を棚卸ししてみること。
このようなことを考えてみると良いでしょう。
・法的には正しくない、ただし自分の基準からしたら正しい
会社で決めた文書のルールは破ってしまっているんだけど、この書き方の方が絶対お客さんに伝わるよね!みたいな場合です。ルールを破っているけれど、確信犯というか、破った状態の方が効果的・効率的・正義であると思っている状態です。
これは自分がルールを破るという意味で何らかの悪いことをしているという意識が見えてくるかもしれません。
ルールではなく、自分自身を見つめ直すような、内側に向けての観察が問われます。
これが確信犯ではなく、やむを得ずそういう状態になってしまっている場合。
あまり自分を悪い悪い、申し訳ない、反省しなきゃ、改善しなきゃと思いすぎてしまうと心の病になります。適切な分量で観察してみましょう。
・法的には正しい、ただし自分の基準からしたら正しくない
職場のルール通りにやってるんだけど、明らかに効率が悪い!といったような感じです。
これは感じ易いです。大概は「不満」という形で表に出てきます。だから、そこから観察の視点に移動することはそう難しくないです。
おもに、決まっているルールに対する批評や改善を模索する形で観察することになるでしょう。
ただ、この観察からアウトプットする際には「不満のはけ口」にならないよう気をつけなければいけませんね。
また、コミュニティとの軋轢も問題になりがちです。観察や問題になりがちな点は見つけ易いですが、その後のアクションが難しいと言えます。
同じ不満を持っている個人に対する影響が大きい観察点と言えそうです。
この分野は対象は少ないかもしれないけれど、同じ思いをしている人には深く突き刺さる観察になります。
言葉で「正しい」という一言を取っても、いろいろ理解があります。また正しいと思う感覚は人それぞれなので、議論の種にもなります。
つまり、観察力を養うための有効な手段として、スタンダードな正しさや他人が持っている正しさと、自分の中の正しさを把握して、比較してみることが大変役立ちます。人それぞれ、感じるところは異なるものです。世の中にあるルールの数以上に観察すべき点はあるはずです。
その結果、どうするかはここでは述べません。観察、それを気をつけてみましょう。
次回の観察力
【観察力を養う 4】入力を制限する