2012年1月14日、将棋界では大変に革命的な対局が行われました。
その直前のコンピューター将棋の大会で優勝した将棋ソフト「ボンクラーズ」と元将棋名人である米長邦雄永世棋聖(故人)が対局し、ボンクラーズが勝利したのです。将棋ソフトと、このとき現役を引退していたとはいえ名人経験者が公に対局するということは初めてのことでした。とうぜん、将棋ソフトが公で男性元プロ棋士に勝ったのも初めてのこと。
この対局はニコニコ生放送でも放送され、30万人を超える視聴者があったそうな。
その対局に負けた米長先生が、コンピューターとの対局にどのように臨み、何が原因で敗れ、今後の人間とコンピューター将棋がどう交わっていくかを考えて書かれたのが本書です。
~ 目次 ~
米長邦雄という男
元プロ棋士・米長邦雄先生は2012年12月18日に亡くなりました。棋士というのは、将棋や囲碁を生業としている方々の総称で、米長先生は将棋のプロです。
将棋というゲームは、数学のゲーム理論でいうところの「二人零和有限確定完全情報ゲーム」に分類されるゲームです。麻雀やトランプゲームのように隠された情報があるわけではなく、基本的に偶然に左右される要素がほとんどない、読みの深さを競うゲームです。
米長先生は、この読みの深さを競うゲームのプロとして活躍していながら、
これらの書籍で「勝利の女神にモテるために人間が尽くさねばならないこと」について言及されるなど、勝負を幅広い視点で捉えられていた方です。
とりわけ、これらの書籍で提唱されている
という思想は、今や将棋界では当たり前になっている考え方といえるでしょう。
若いころはその実力を多いに発揮し、50歳にしてで棋士の頂点である「名人」のタイトルを獲得した際には躊躇なく若手へ教えを請い、爽やかさも泥臭さも併せ持つ、そうとうに恰好いいお爺さん、であったことは、米長先生をご存じの方なら知らない人はいないでしょう。
コンピューター将棋と対戦するにあたり行った努力
コンピューター技術の進歩・コンピューター将棋プログラムの進歩から、1秒間に1700万手は読めるという状態になったコンピューター将棋。日本将棋連盟の会長でもあった米長先生は、コンピューター将棋との付き合い方にも腐心されていました。
トップ棋士との対話から、今、プロ棋士がコンピューターと公で将棋を指すことの金銭価値を算定したり、軽軽に人前での対局を禁止したり。将棋連盟の会長として立ち振る舞っていく中で、自らが2012年に行われた「電王戦」という大会においてコンピューターと対局することになります。
既に現役を退いて会長職に専念していた米長先生は、数年前に患った癌という病気も癒えきらぬ中
ことに100日以上を費やします。こんな勉強をする68歳、いますか?自分がそうなったら、マネできるかなあ。
その結果、後手番となった米長先生は、対人間の勝負では「奇手」とされる、62玉という後手の第一手を編み出します。
コンピューター将棋と対戦するにあたり行った努力2
当たり前ですが、コンピューター将棋は心を乱されて間違える、ということがありません。人間にはそのようなことがあります。将棋では、将棋というゲーム以外での勝負のことを「盤外の勝負」などということもあります。
その盤外での出来事を可能な限り工夫しているところに米長先生の真骨頂があったのではないかと思っています。
勝負に敗れる。そして
米長先生は、この対局で万里の長城を築きましたが、とあるほころびからこれが決壊し、コンピューター将棋に敗れました。
米長先生の素晴らしいところは潔く負けを認めているところ。
そして、負けを認めてはいるけれど、後手の第一手・62玉に対しては誇りを持っているところ。
引退した「会長さん」ではなく、一人の牙も持った、嘗ての名棋士・米長邦雄がそこにいました。
敗北の弁の中でも第一手に原因があるのではという質問に対しては毅然と答え、意地悪な質問にも絶妙な回答をしてのけます。棋士だけでなく人間として一級品の米長先生の応答は、ぜひ読んでみると良いでしょう。こんな68歳になれるだろうか?という気持ちを持って。
この対局に負けた「プロ棋士サイド」は、2013年の人間vsコンピューターの対局「電王戦」の仕組みを変更します。1年に1局、を5年かけて行う予定だったのを、2013年の時点で男性プロ棋士5人vsコンピューター将棋上位5ソフトという短期決戦型に切り替えました。現時点で詳細は不明ですが、2013年中に、確実に行われるでしょう。
識者は見る
コンピューターに負けはしましたが、その中でもコンピューターの弱点、人間の可能性に関してを、さまざまなコンピューター将棋ソフトのプログラマーや現役・一線級のプロ棋士の言葉を紹介することで公平・普遍的に編集されています。
「序盤の創造力はないが、中盤の仕掛け、終盤の寄せは方程式を解くように美しい。数学の美しさに似てる」
ある方の言葉です。この言葉はコンピューター将棋だけにいえる言葉ではなく、あらゆるコンピューターに絡むこと、また「デジタル思考に偏る人間の発想」にも同様のことがいえるのではないでしょうか。
応用して考えられることが山ほどあります。
しまいに
昨年末に米長先生が亡くなったことから、この本を書評のトップバッターに持って来ようと決めていました。
米長先生もこの本の中で
「この本は、私の将棋界への遺言書になるかもしれません。」
と書かれています。
発売されて約一年経っていますが、この遺言書、全く色あせていないように思います。
68歳の男性がコンピューターに挑む様に浮かび上がる人間の美しさ、勝負の美しさ。
コンピューターが苦手とする「模様の良しあし」「雰囲気の良しあし」「前例のないことに対する判断」という隙を人間がどのように突いていくのかが今後のテーマになっていくでしょうけれど、それが何なのかは、本書をしっかり読んでいくと想像することができるのではないでしょうか。
また、ニコニコ動画と手を組むことによる、将棋と新たなメディアのミックスの効果も見逃せません。「古典芸能」でもある将棋が新しいメディアと付き合っていく姿は、メディアミックスの参考にもなるのではないでしょうか。