子供のころ、ぼくは学校に電車で通っていた。今でこそ歩いて行けるその距離だけれど。なぜかは覚えていない。ただ、兄がそうしていたから真似したのだ、そういう記憶だけはある。
学校が終わってから友達と遊ぶ約束をした日があった。
「今日、奥野ん家に行くね。」
「いーよー」
何人かが来る予定だった。うちにあるマンガを読んだり、ファミコンをやったりする予定だったはずだったんだ。
でもその日は結局、だれも来なかった。
放課後になって一人が
「やっぱおれ行かない」
と言ったあと
「俺も」
「俺も」
「俺も」
という連鎖が起こったからだ。あーあ、とも思ったが、また明日になれば学校で会えるし別に気にすることはなかった。
その時は。
~ 目次 ~
変わる
何かが変わったのは翌日だ。
休み時間、昨日遊びにくるはずだった友達が他の友達と話しているのが聞こえた。
「昨日のあのゲーム、すげえ面白かったな!」
「おまえん家行ってすごい楽しかったよ!」
「わいわい」
「わいわい」
あれ?
俺と遊ぶはずだったみんなは、ほかの友達と遊んでたんだ。
あれ?
あれ?
違和感
昨日までと同じようなひと時。
昼休みに校庭で遊んだり、教科書の落書きを一緒に見て笑ったり、給食のときには牛乳の早飲みもして遊んでいる。
授業中には消しゴムのカスを投げつけあったりもした。
でも、何かが違う。昨日までの鮮明な色あいではなくって、何かが少し、カスミがかかっているようだった。
なんでカスミがかかっているかはその時にはわからない。でも、昨日の延長にある今日。その今日から何か色が違う。
わかる
分かったのは、あのあと初めて声を掛けられたときだ。
「今日、奥野ん家遊びに行っていい?」
「あ、親と外出するから駄目だ」
反射的にそういって断ったが、ほんとうは暇だった。
(来るって行っても、本当は来ないんだよね?)
心の中の自分がそう言ってた。その心の声と「駄目だ」といった実際の声は同時に出ていたんだと思う。
二度と遊びに来てほしくないとか、そんなんじゃない。
でも、その子が来るかどうかは、来るまでわからない。
そして、来ない可能性というのもそれなりにあるんだな。
そんなことを思った。
一本の線
人間不信になってはいない。
その子が嫌いになったわけでもない。
でも、自分とその子の間には、昨日まではなかった一本の細い線が引かれていて、その線の向こうはどこかうっすらとカスミ掛かっている。
そんな感じだったんだ。
そのカスミは卒業まで取れることはなかった。
そして卒業後、僕と彼らは生活圏が少しずれていたこともあり、交わることがなくなってしまった。だから、僕と彼らの間にひかれた一本の線が無くなってたのかどうか、今でも正直わからない。
もし謝罪されていたら、もし何かでリカバーされていたら。
そこでその線が消えていたか?それもわからなくなってしまった。
そしてその細い線、おっさんになった今でも、よその人とのつながりの中でたまに見えることがある。人間としてズブくなってきているこの頃だけれど、その線が見えたときは、ちょっとばかしほろ苦い思い出がよみがえってくるんだよね。
その人との間の線が消えたこともある。でもまた線が出てきた場合、以前の線よりもより太い、はっきりした線になっている。
線。
ないに越したことはないなあ。もしできてしまったら、消す努力はしたいなあ。