将棋歴30余年の@odaijiです。
「結果を出し続けるために」という2010年12月初版の書籍なのですが、3年経った今でも変わらず示唆に富む内容であり応用に事欠かない本ですので、ご紹介します。
15歳くらいから本記事執筆時点の43歳の今まで28年。将棋の羽生善治先生は棋界のトップを走り続けています。もちろんタイトルを取ったり取られたり、将棋界最高のタイトルである竜王・名人を持っていない時期はありますが、現実的に将棋界のトップ、あるいはアイコン(象徴)として君臨し続けているのは羽生先生であり、一般社会から「将棋棋士で知っている人は?」という質問にもっとも多くこたえられるであろう人物も羽生先生だと思うのです。
その羽生先生、他分野のトップの方々との交流も多く、脳科学や勝負論に関する共著・著作も見られます。将棋の世界を現実世界に置き換えられる工夫を人一倍されている棋士の一人といっても良いでしょう。
私は小学校4年生の時に将棋を覚え、小学生~中学生までは、現在はすでにトーナメントプロを引退されている伊藤果先生(先生の作る詰将棋は芸術であり81マスの小宇宙でありマジックです)に教わっていました。町の将棋道場、日本将棋連盟の「連盟道場」といわれているところでは最高四段で指したことがあります。
今は将棋倶楽部24では1600点前後、将棋ウォーズでは三段くらいで指しています。
「普通の人」にはまず負けない。
アマチュア大会の県代表クラスには遠く及ばない。
経験者とは楽しく指すだけの力はある。
こういった力量の人が書いている書評だと思ってください。
~ 目次 ~
羽生先生
タイトル保持履歴、記録、表彰。すべてを見ても超一流なのが見て取れます。僕の一歳年上で、僕が将棋を始めて2年目くらいの小学校5年生の時、6年生だった羽生先生を小学生将棋大会などで見たことがあります。
子供でも、世代のトップはわかります。そして、そのトップは常に広島カープの赤い帽子をかぶっていました。赤い帽子の子(当時は自分も「子」ですが)が勝ちまくっているのは嫌でもわかります。話などはしたことはなかったですけれどね。
そんな羽生先生が思考を進化・深化させるために大切なことをまとめてくださったのが本書・「結果を出し続けるために」です。将棋の話ではなく、人生において大切な示唆が多く書かれているなと思える本です。
努力を結果に結びつけるために
これは将棋に限ったことではありませんが、将棋のトップ棋士は対局中の多くの時間を、自分が不利な状況について考えているそうです。将棋は1対1で戦い、自分と相手が交互に1手ずつ指すゲーム。相手が最善の応手をしてきたとしたら自分がそうそう良くなるはずもないし、そもそも自分の手があまり良くなかったとしたら、相手に有利な戦況になってしまうのです。
必然、次にプラスが大きくなるような手というよりは、マイナスがそうない手におよびつつあるのでしょう。ディフェンシブというわけではありませんが、防御的に隙を作りにくい将棋が多いのは、このような傾向が元なのだろうなと思います。
努力
向上心のある人、前向きな人はすべからく努力をしていると思います。本人が努力をしているという認識があるかどうかはさておき、世間の人がみたら「努力」と思われるようなことをしています。
ただまあ、そういう行為の結果が芳しくないこともあるわけです。
今している努力が、あとどのくらいで報われるものなのか。その想定が付けられるとしたら、その根拠はそれまでにためた経験値だと思います。
ただ、変化がおおきい努力、これまでの経験を壊して組み立てなおすような挑戦をする場合には、これまでの経験値が役に立たないケースもあります。
そういう時には直近の3か月や半年というところにこだわらず、5年10年というスパンで考えるべきですね。
ツキや運にとらわれない
どんな事象でもツキのようなもの、流れのようなものが存在しますよね。人によっても、何をやってもうまくいく時期、何をやってもうまくいかない時期、様々です。
羽生先生はそのような望外の流れは一喜一憂しないように心掛けています。
ツイている人の真似をする、ツイていないひとの反対のことをする、ということはするそうです。完全に情報がわかるゲームの将棋界のプロがそのような発想をすることが面白いのですが、羽生先生がこうおっしゃてるのが興味深いですね。
決断プロセス
羽生先生の決断プロセスは、僕レベルでの将棋指しにもわかるものでした。レベル的には真似できませんが、おっしゃることはわかります。
将棋のあまり強くない方は、強い方に
「将棋って何手位読むの?」
と聞きます。もしかしたら僕もトッププロも同じくらい、1000手くらい、と答えるかもしれません。もちろん状況に応じてそれは異なります。
そして、僕レベルとトッププロの違いは同じ1000手だったとしても内容が大きく異なります。
僕の場合は20通りの候補をその後50手ずつくらい読んで1000手になります。
トッププロは2通りの候補を500手、あるいは3通りの候補を333手くらい読んだりできます。
ちなみに下手な人でも時間をかければ1000手は読めるかもしれませんが、50通りの手を20手読むようなことになるのではないかと思いマス。
ある局面から「これはないでしょ」と切り捨てられる数の多さ、これがトッププロです。
これは、僕たちの生活でも応用できることです。何かの決断をするとき、経験豊富な人ほど「やってはいけない」決断の数が多いので、取るべき戦略・戦術の数を最初から絞ることができます。したがって間違える可能性が減ります。
決断慣れをしていない人、決断するための経験が豊かでない人はどうしよう、こうしよう、という選択肢が多くなってしまいます。
「明らかにナイナイ」
というものの数が少ないからです。そして、いくつかの選択肢以外が間違ったものだとしたら、その間違っているものの割合が増えていることになるため、失敗する可能性も高まります。
そして、2~3に絞り込んだ手に対して突っ込んで読む濃度の決め方が上手なのがトッププロです。
「絞り込んだけれど、やっぱりないな」
という見極めが非常に上手くて、早い。これができるのが経験と力量なのでしょう。
読むべき手は深く読み、見切るポイントがわかった手はそれ以上深追いせず見切る。
囲碁・将棋以外ではあまり使わない「大局観」という言葉ですが、大局を見て判断する、というような言葉は使うでしょう。それと同じことです。
かんたんに言ってしまえば
「森を見て、木を見ない」
ということでしょうか。
羽生先生のすごいところは、大局観で終了局面がイメージできるということがあると。
現時点の局面から終了図面がイメージで浮かんできて、そこへのロジックをあとで証明していくような形で手を読むこともあるそうなのです。
この域には僕レベルじゃあとてもとても到達できない・・・。これだけの大局観を持てるようなジャンルで仕事なり生活なりしているのであれば、その範囲で大失敗をすることはまずないのではないでしょうかね。
プレッシャーの付き合い・ミスの対処
勝負事に欠かせない、プレッシャーとの付き合い・ミスの対処についても語られています
プレッシャーとの付き合い
1メートル50センチの走高跳ができる人は、1メートルのバーでも、2メートルのバーでもプレッシャーはかかりません。前者は余裕すぎるし、後者は無理すぎるから。1メートル45センチとか、1メートル55センチなどですと、プレッシャーがかかるのではないでしょうか?
つまりプレッシャーがかかる局面は、自分の力量に近いところに対象がある場合ということです。
プレッシャーがかかっていること自体「自分が今(自分の中で)良いレベルに来ている」ということをまず意識すると良いのではないでしょうか。
ミスの対処
年間50局くらいは対局する羽生先生でも、ミスなき対局は年に1局あるかないか、ということらしいです。僕らがミスをするのは当然ですね。
そんななか、ミスをしたあとどのように対処するのが大切なのかを教えてくれます。
羽生先生は、ミスをした瞬間から、ミスをする直前の局面は忘れることにしているそうです。
つまり、ミスを犯した直後の今の局面を、新規に与えられた局面だと判断することだそうです。
過去の過ちの悔いから無理な挽回をしようとしてミスを重ねることが一番怖いことで、今その時点での最善手を求めていく考え方にしていくのが賢いやり方だと。僕のような素人はこの切り替えが大変で困るのですが、できるようになっていかないといけませんね。
そして、不利になったあと挽回のためのギャンブルはしないこと。今つけられている差を、さらに引き離されないような努力をして、相手の焦り・ミスをじっと待っていくこと。これが勝負の哲学です。
ギャンブルというのはその一回のため、今回だけうまくいけばいいという変化。
そうではなく、今後の改善のための中長期的な変化であれば、これはやっても良いというのは注釈。現状維持だけを目指すわけではなく、改善は常に意識の下にあっていいのですね。
まとめ
羽生先生からは将棋というゲームから万物の法則を見出そうとされている姿勢をうかがうことができます。
そして、将棋の世界で通用している言葉・思想・発想を、世間に上手に置き換えていくことを大切にしているように思います。
何かの競技のトッププロで、これだけ一般に浸透させようと工夫されている方はそういないのではないかなあ。
できれば同様な考え方の書籍を
・イチロー(野球選手)
・井山裕太(囲碁のトップ棋士)
・武豊(競馬・ジョッキー)
・本田圭佑(サッカー選手)
などの著作で読んでみたいものです。それぞれの世界で培った勝負勘・大局観・自分の競技の中でのプレッシャーやミスに対応する具体的な手法を聞くことができたら、僕たちの生活にうんと役立つはずです。
そして、できれば、僕自身がこういう考え方を残せるようになっていきたいものです。