こう見えても戦国時代ファンの@odaijiです。
2014年のNHK大河ドラマ・軍師官兵衛は、軍師好きな僕にはたまらないテーマでして、主人公の黒田官兵衛は戦国時代でも好きな武将の上位に入る人。
すごいなーと思っているので、2014年はドラマと黒田官兵衛自身についていろいろ書こうかなと思ってます。
黒田官兵衛がどんだけすごい戦国武将だったのかを、初心者向けに5分以内でわかるような事例をご紹介します。
※詳しい方、マニアな方は異論はあると思いマスが叩かないでください
※結局歴史って何が「フィクション」で何が「ノンフィクション」なのかわかりませんので、世に知られた事象は出していこうと思います。
たとえそれがフィクションだとしても、その人らしさが出ていることが現代まで残っていると思うので。
~ 目次 ~
織田家と毛利家が戦闘状態に入ったときに、どちらについたら生き残れるかを正しく判断した
当時、黒田官兵衛は、小寺という大名家の家老でした。苗字をいただいて「小寺官兵衛」と名乗ってたことがあったくらいですから。
播磨。今でいう兵庫県のあたりにあった比較的小さな家で、東は織田信長が、西は毛利輝元(毛利元就の孫)が支配しているところで、どちらか正しいほうに付かないと生き残れないという状況だったんですね。
そのなかで官兵衛のリードで、織田家へ付くことになりました。もっともこれは主家の小寺家には嫌がられていたらしく、後で裏切られることになるのですが。
織田と毛利が本格開戦する前に勝ち馬を選択できたのは官兵衛の慧眼ですね!
三木城の兵糧攻めを盟友・竹中半兵衛と共に実行(途中で幽閉されるけれど)
織田と毛利の戦争の中で、三木城を攻めるということがありました。別所家という播磨の最大勢力が立てこもる城で、力攻めは大変に難しい状況。
ここで、黒田官兵衛と、官兵衛の盟友・竹中半兵衛が選択した選択は兵糧攻め。なんと2年にわたって三木城を取り囲み兵糧攻めにしました。
おそらく、いついつまでに城を落とせという信長の「納期」を調整しつつ、できるだけ攻め手に被害が出ない選択をしたのでしょうね。この選択ができたのは戦国の両兵衛といわれた黒田官兵衛・竹中半兵衛がそろっていたからこそ実行できたのではないでしょうか。
ちなみにこの兵糧攻め中、黒田官兵衛は別件で織田家を裏切った武将の城にしばらく幽閉されます。ここで足など不自由になった模様。
鳥取城攻めの際の米の買い占め
これも対毛利戦。鳥取城を攻める際には周囲の米業者から、相場よりも高い値段で米を買い取ることで、短期間に鳥取城を兵糧攻めすることに成功しました。
時間のかかりがちな兵糧攻めを短期間で終了させるというカイゼンを見せました。
高松城の水攻め
これも対毛利戦。難攻不落と思われた備中(今の岡山県西部)の高松城が、大きく見ると川に囲まれた盆地であることに気づき、大きな工事で城を水攻めにすることを献策しています。これも土木工事にお金はかかっているらしいのですが、お金より大切な自軍の兵士をできるだけ大切にしているという良心を見て取れます。
単なる戦略バカではなく、人を大切にできる人なんですね。
中国大返しの進言
で、先の高松城の水攻めの途中に、なんと主君の織田信長が殺されてしまいます。いわゆる本能寺の変です。
本能寺の変を知った羽柴家(豊臣秀吉は当時羽柴秀吉でした)は後方の急変と目前の毛利家の板挟みになってしまいますが、ここで黒田官兵衛は、織田信長の死が毛利に知られる前に、毛利家と戦争を一時停戦(講和)するというウルトラCを見せます。さらに岡山県から京都まで軍勢を引き返し、織田信長に謀反を起こした明智光秀を破るという道筋を立てました。
窮地に陥ったときの臨機応変。羽柴秀吉を納得させて中国大返しを計画・実行したのって、なんという冷静さ・なんという豪胆さでしょう。
関ヶ原の戦いの際に九州をかなり平定
石田三成と徳川家康が戦った戦国時代で最も有名な戦い・関ヶ原の戦い。このとき家督を息子・長政に譲って九州で悠々暮らしていた官兵衛が立ちます。
長政は徳川寄りだったのですが、戦が長引くだろうと見た官兵衛は、隠居してからためていた金銭で兵を雇い、九州の平定に入ります。
ほぼ一か月の間で九州の大部分を平定してしまい、残りの大きな大名が島津というところに来た時、関ヶ原の戦いで勝った徳川家康からストップがかかり、ここであっさり官兵衛は隠居生活に戻ってしまいます。おそらく、官兵衛が想像しているより短期間で関ヶ原の戦いが終わったのでしょうねえ。
もし長引いたら九州平定して次の野望へ。
隙あらば動く、勝者が決まったら生き残る判断を迅速に行う。まさに機敏です。
一説には、豊臣秀吉が、もし自分が死んだら次に天下を取るのはだれか!という問いを諸大名に問いかけ、秀吉自身が、次は黒田官兵衛だろうと言っていたとか。
そのくらい秀吉に恐れられていた黒田官兵衛。
歴史ファン以外にはマイナーな存在かもしれませんが、これほど器量を示した「ナンバー2」は歴史上なかなかいないかもしれません。
2014年から始まる「軍師官兵衛」でどこまで放送するかはわかりませんが、こういう功績を楽しみにしてみて下さい。