軍師官兵衛、第3話は大きな別れと大きな出会いが描かれました。
~ 目次 ~
お辰との別れ
幼馴染で子供ながらに結婚の約束までしたお辰。
政略的に浦上家との婚姻で嫁いでしまったのだが、婚姻のその瞬間、赤松家が浦上家に攻め入ってきました。
馬を走らせる官兵衛。
官兵衛が現地にたどり着いたときはすでに拠点は焼き討ちに遭った後でした。
納屋で瀕死のお辰を見つけるものの、官兵衛の腕の中で息を引き取ってしまいます。官兵衛、号泣。
第2話で浦上との婚姻を否定をした経緯もある官兵衛は悔しさも相当なもの。
評定。今こそ赤松を攻めるべきと進言する官兵衛だが、小寺の殿はしばらく様子を見る、と。
小寺のバカ殿ぶりは随所に発揮されています。
悲しみを抑えきれず山中で独り刀を振り回す官兵衛。岡田君、剣術の稽古もしていたらしくサマになっています。
そのころ、織田家
美濃(斉藤家)攻略に苦戦していました。
斉藤家の家臣・竹中半兵衛がわずか17人の手勢で美濃・稲葉山城を乗っ取っりました。
でもこれは主家の斉藤竜興の普段の行いを諌めるためのもので、すぐにお城を返却します。
一報を聞いた織田信長は竹中半兵衛に使いを出す。
信長も母には嫌われている。
美濃の斉藤家は複雑。複雑な家庭の斉藤家を飲みこもうとする信長は、斉藤家から織田家に来た嫁・濃姫(内田有紀)と美濃を接収する計画について話します。江口洋介と内田有紀の夫婦、悪くないですね。
竹中半兵衛のニュースは黒田官兵衛の元へ。
一報、赤松が銃を購入したニュースを小寺の殿へ伝える官兵衛の父。小寺家も鉄砲を購入しようと小寺の殿に進言。買い付けの担当として官兵衛を推挙します。
話ながら打っている囲碁は、きちんと殿に負けてあげる官兵衛の父。
シーンが変わり、官兵衛と会話する父。
最近、近習としての仕事に身が入っていないといい、また孫子の教えで官兵衛を諭す。
怒りはまた喜ぶべく
憤りはまた悦ぶべきも
亡国はまた存すべからず
死者はまた生くべからず
-一時の怒りで戦をしてはいけないよ。
死んだ人がまた生き返ることはないんですよ-
官兵衛の心を察しつつも、「今のお前は黒田家の恥だ」とぴしゃり。
お父さん、優しくも厳しいなあ。
実は官兵衛の祖父の元に、婚姻の前日にお辰が訪れた、ということを祖父が官兵衛に教えてくれましたた。
実は官兵衛を慕っていた、でも婚姻の話を聞いたときにその想いは捨てたとお辰。
自分は黒田の娘(婚姻の格のために黒田家の幼女として浦上家に嫁いだ)であり、官兵衛は自分の弟であると。
そのうえで、赤松を討とうと進言した官兵衛を、これまた諭す祖父。
負けたら死ぬまで、と言い放つ官兵衛に「命の使い方をわかっていない」と教える祖父。
ついでに、いい機会だから狭い播磨に収まらず世間をみておいで、と祖父。
お父さんは軍略面から冷静に、おじいさんは感情面から優しく、官兵衛を諭すんですね。家族の愛に恵まれている官兵衛です。
おじいさん、その後しばらくして亡くなったとアナウンス、竜雷太さんの役割はここで終わりかな。
堺へ向かう。二つの出会い
このあたりのお話。
※画像は(c) コーエーテクモゲームズ 信長の野望 創造
の画面をキャプチャして編集させて頂いております
気持ちの整理はつききらないものの、堺(大阪の港町。当時の日本では技術・情報の最先端を走る街)へ向かう官兵衛。
道中、野盗に襲われるが牢人の協力もあって切り抜ける官兵衛。この牢人こそがのちに大きな関係を持つ荒木村重でした
荒木村重から、足利13代将軍・義輝が暗殺された話を聞いて官兵衛一行は驚愕します。
そして堺へ到着する官兵衛一行と村重。
堺は当時は独立国家の様と呈していて、近畿一体の戦火の影響を受けていない様子です。堺の町が私的に兵士を雇い、独立国家の様なんですね。
堺の豪商・今井宗久を紹介して分かれる官兵衛一向と村重。
村重に「案内料」を無心された官兵衛は、想定より多くのお金を渡して村重を驚かせます。いったん、荒木村重とはここでサヨナラです。
鉄砲に出会う
今井宗久(コニタン)。一見の官兵衛にも鉄砲を打ってくれるとのコト。
「一撃で人が死ぬ」と聞いて官兵衛は表情を曇らせます。まだ人が戦死することの寂しさには慣れないのですね。
同時に、織田信長が大量に鉄砲を買い、秀吉(当時の名前は藤吉郎)が購入したときのエピソードを今井宗久が教えてくれました。
鉄砲の目的・商人には商人の戦いがあることを実感しつつ官兵衛は堺の町をあるきます。。
そこでふと見かけたのが、山小屋の中で民に布教をしているキリスト教の宣教師でした。
隣人を許し自分のようにいつくしむことを教える宣教師の言葉に、父・祖父の言葉が重ね合わさり、官兵衛は思いをめぐらせます。
お辰との回想も踏まえつつ、新しい世界との出会いに新たな志が生まれてきたようです。
失ったこと、出会ったこと
愛するお辰を失った官兵衛。
でも、荒木村重と出会い、キリスト教とも出会いました。
のちに官兵衛(と荒木村重)はキリスト教の洗礼をうけます。
おそらく姫路から堺まで歩いて相当な日付がかかっていることでしょう。
そういう意味では、今の東京からアメリカよりも、姫路から堺までは遠く、未知なる世界に違いありません。
当時の旅はどのようなものだったのか。
堺へ旅に出ることは、現代に置き換えたらどのくらいクリエイティブな旅だったのか。
そんなことを思いながら、お辰の喪失と村重・キリシタンとの出会いで差し引きプラス1なのかなあなどと思った第3回でした。