黒田官兵衛

【軍師官兵衛】第5話。官兵衛の世代の黒田家へ。

2014/02/05

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なかなか視聴率が低迷しているようですねえ、軍師官兵衛。第5話も16%だったとか・・・。
でも内容は面白いです。上がっていってほしい。

→第4話のレビューはこちら

オープニング。作物が実り、堤防を作った成果が出ている黒田領内。官兵衛一行が巡視しています。
挨拶に来る農民夫婦。妻の方は赤ちゃんを抱いており、妻の光が妊娠中の官兵衛は子供がかわいくて仕方ないご様子です。

~ 目次 ~

織田信長、上洛

上洛の洛というのは、昔の中国の首都・洛陽になぞらえているんですね。
江戸時代以前に京都に赴いたことを上洛といいます。

主題曲後。京都の町に入る織田信長。繰り返される戦により待ちはボロボロ、乞食もいるご様子です。大体永禄11年(1568年)ごろのお話。

「都を立て直す。まずは民百姓を安心させるのじゃ!」

秀吉(このときはまだ藤吉郎)に言う信長。

その近くで町の女性の壺(中に銭が入ってる様子)を力づくで奪おうとする男が一人。馬を走らせる信長さん。刀一閃、その乱暴していた男は切られて死んでしまいました。

「都にて乱暴狼藉を働く者は、町の者だろうと家中の者だろうと即刻首をはねる!」

とおっしゃる信長さん。治安を急きょ守らなければならなかったのでしょうね、方法が過激ですがやむを得ないといったところでしょうか。
ただ、家中の者でも首をはねるという宣言は身内を引き締めるにも十分な効果があったのではないでしょうか。

織田家の旗印は、永楽通宝のイラストです。永楽通宝というのは当時流通していた貨幣のことなんですね。なぜ信長がこの旗印を使っていたのかは定かではありませんが、「土地マンセー」と思われていたこの時代においてすでに金銭の価値を感じ取っていたからなのかもしれません。

藤吉郎はひょうたんの前立てだけれども、このころから前立てできていたんですかね?まあいいか。

@播磨

上洛からわずかひと月で町の治安を取り戻したという話が官兵衛の耳にも入ります。

「さすがは織田信長・・・。天下布武か・・・。」

感嘆する官兵衛さん。

シーン変わって。

黒田家の「倹約」に、光の侍女(お付きの女性。実家から一緒に来た)がケチだと。母里小兵衛(重臣・塩見三省)はこれが黒田の家のやり方なので嫁いだらなじんで頂きたい、とお願いするもいまいち納得できない侍女さん。光さんはそうでもないようなのですがね。

官兵衛のお祖父さんは目薬売りから武士になった人で、お金の大切さがわかっていたと。
「金は、いざというときに使う。いざというときのために大切に蓄えておく」。

光に諭す官兵衛さんです。臨月っぽい奥様と和みの時間。

※倹約と銭をためることについては、ただのホームドラマ的に見ていない方が良いと思います。
ためた銭を豪快に使うシーンについては、おそらく関ヶ原の戦い前後で出てくるのではないかなあと

官兵衛の父さんは隠居して悠々と母里小兵衛と囲碁を打ってます。「官兵衛にはもうすぐ子供が生まれるけれど、わが息子の武兵衛(官兵衛と同い年)には浮いた話もない」と嘆く小兵衛さん。

再び信長・秀吉

永禄11年10月。足利義昭は第15代将軍に就任。浮かれ気分の義昭は信長さんを副将軍に任じようとするけれど辞退する信長さん。

その代りに堺、大津、草津に代官を置くことを許可してほしい、という願いでした。

※代官を置くことの重要さがわからないと、このシーンはピンとこないかもしれませんねえ。
まだ信長が武力で制圧していないこれらの地域において、信長は物流のたびに税金を取る権利をもらった、というふうに理解してみてください。
すでに「オワコン」な足利幕府の副将軍という花より、
楽市楽座で物の流れを滑らかにし、その滑らかになった物流に税金をかける
という団子を取ったということになりますね。

同様のことを、豊臣秀吉の部下になった石田三成も行っています。
領地を増加しようとした秀吉に対して三成は「葦の運上金をいただければ」とお願いしたそうで。
淀川に自生する葦(植物)の運搬に税をかけさせてもらって、これで収入にしたんですね。
当時の「見える」人の発想はこういうものだったんですな。

将軍になれたのがうれしいのでしょうね、能の宴(うたげ)を13番やろうとしている新将軍・義昭さん。でも、それに釘を刺す信長さん。5番で十分でしょうと。ちょっとビビリつつ了解する義昭。まだ2人の仲は決裂していないようですね。

シーンが変わって。
近江の方では、庵に秀吉が訪れる。庵の主は、先の斉藤家の重臣・竹中半兵衛(谷原章介)。斉藤家没落と同時に隠遁してしまったんですね。

「織田家に入ってください!」

 と秀吉さん。

織田の家風、何人もの部下を手に掛けた信長のやり方は、かつて愛想をつかした斉藤家と同様で嫌だなあ、と断る半兵衛さん。

秀吉さんはあきらめません。天下を安らかにするためにあなたの力が借りたい、と土下座をします。

「半兵衛さんがうんと言うまでワシは一生ここを動かぬ!」

しょうがないなあ、という顔で半兵衛さん了解します。

「信長さまではなく、あなたにお仕えするのであれば」
「私は、木下藤吉郎さまの元で働きとう存じまする。この乱世を終わらせるために」

劉備玄徳と諸葛亮孔明の三顧の礼に匹敵する豊臣秀吉と竹中半兵衛の三顧の礼、こうしてうまくいったのですね。

青山の戦、土器山(かわらけやま)の戦

▼黒田家は小寺家の中にあって、赤松家と領域が隣り合わせのところにありました。
赤松・黒田・小寺の位置関係

▼これからお話する二つの戦は概ねこのあたりで行われました。城から戦場まで20キロくらいという距離感です。
戦場

※画像は(c) コーエーテクモゲームズ 信長の野望 創造
の画面をキャプチャして編集させて頂いております

下働き?のお国さんと武兵衛さんがどうやら仲良しの模様。そうこうしているうちに光さんが産気づいて、いよいよ官兵衛もお父さんになります。官兵衛の息子の長政さん、大きくなったら松坂桃李さんが演じますよ。
松寿丸という幼名。官兵衛の織田家からの離反疑惑でちょっとした事件が起きるのは、また今度の話。

※短期間に二つの戦闘が行われたようですが、それほどそっかりした資料が無い「らしい」ようで、良く言われている話をもとに記述します。

青山の戦

小寺家の宿敵の赤松政秀さん、翌永禄12年(1569年)5月に黒田家に戦をしかけます。
赤松家の勢力は約3000、黒田家は300と言われていました。でも、官兵衛は奇襲を仕掛けて華麗に撃退です。
ちなみにこの時、小寺のバカ殿さんは御着城にこもっていたそうで、だらしなくもあり、主君としての男気を見せなくもあり、と、評価が下がる一方な対応を取ってます。

「赤松は再び攻めてくるでしょう」
と官兵衛さん@小寺家評定。今いち小寺の殿や重臣には伝わっていないようでして。

光に「ケチ」とまで言われてお金を貯めた官兵衛さんは、青山の戦の恩賞で銭を兵に配ります。これが「使うべき時に使う」ということなんでしょうな。

土器山の戦前夜

赤松さん、収まりません。翌月、再び兵を出します。なんたって、将軍様から上洛して自分を支えてよ!とお手紙をもらって躍起になっているんです。
ついでに黒田をつぶせれば爽快じゃないですか!

「良いか、姫路(黒田家の城)を落とせば御着(官兵衛の主君・小寺家の城)など根が腐るように落ちる!」
と言い切る赤松さんです。地理的にも黒田が赤松に隣接しているということもあるのでしょうが、黒田家が小寺家の重臣の中でもカギとなることをわかっていたのでしょうね。

その報を知り戦の準備をする黒田家。お米を炊いているお国を訪れた母里武兵衛さん。戦に出る前の愛のトークです。

「戻ったら祝言を挙げよう!」

肩を抱く武兵衛さん。

官兵衛さんは官兵衛さんで、奥さんの光と松寿丸に戦の前の別れの時間を。

大苦戦

土器山に本陣を構えたのは小寺さん。今は瓦山と言われているようですね。歴史の本などには、土器山に陣を構えたのは黒田家と書かれているものもあるようですが、テレビは演出もあるので細かいことは置いておきましょう。

ここでは数で優勢な赤松から夜襲を仕掛けられます。速攻で城に逃げ帰る小寺のバカ殿様、これはヤバい官兵衛。
姫路城にいた父の後詰などもあり何とか持ちこたえます。

が、母里小兵衛はこの戦で戦死。歴史の本などでは父の小兵衛はこの戦の数年前に亡くなっている表記が多いのですが、ドラマらしい演出になったのですな。

姫路城では光が仮の城主としてなぎなたを持ち、構えます。
戦場から姫路城までは20キロ程度しか距離がなく、そりゃあ一気に敵が押し寄せても不思議はないですもんね。

夜襲に成功した赤松は落ち着いたところで陣中の宴を始めます。ほぼ丸一日の戦闘だったようです。
城に戻って籠城しようという重臣の提言を退け、敵が油断している今こそ動ける者で夜襲をしかけようという官兵衛。

重傷を負った母里武兵衛
「死んだ父の仇を討ちたいから自分も連れていけ!」
官兵衛
「だめだ!元気なものだけ来い!」
命を大切にする官兵衛さんらしいセリフが出ます。

感動的ですが、通説はここは逆なようで・・・

母里武兵衛官兵衛に出陣を要請され
「瀕死のこの状況で出撃しろとは、つまり死ねということか」
と言ったものの
官兵衛は「恐らくそうなるであろう」
と答えたとか。

母里の一族24人が実はこの戦闘で命を落としたらしいです。相当苛烈な戦いだったのですな。

まあ通説が史実である保障はどこにもありませんし、ドラマには演出が必要ですから、軍師官兵衛が嘘だ・演出だなどと言うつもりはありません。
「人を大切にする官兵衛」で押したい軍師官兵衛としては、このエピソードは使えなかったでしょうねえ。

そんなこんなで犠牲も甚大ながら、赤松を撃退して凱旋する官兵衛。でも戦に出る前は祝言の約束までした母里武兵衛はここで戦死してしまいました・・・。悲しい結果でございますなあ・・・。
姫路城で勝鬨をあげる黒田家ですが、そこには悲しさがあふれ出ておりました。

家臣を集める

平和が戻った姫路。官兵衛は新しい家臣を求め始めます。

・井上九郎衛門
・太兵衛→速水もこみちかっけえ!
この太兵衛が母里家を継ぎ、母里太兵衛として黒田24将に数えられます。

父の代の黒田家が終わり、官兵衛の時代の黒田家が始まる

官兵衛は人の親になりました。

父の時代の重臣が亡くなり、官兵衛の時代の家臣を集めるところで終了しました。
のちに「黒田24将」と言われるうちの数名が登場してきましたね。

父も隠居、小寺のバカ殿には黒田家が愛想をつかし始め、いよいよ官兵衛の時代の黒田家が始まろうとしているのが今回です。

京都では織田信長が勢力を伸ばし始め、秀吉はついに大軍師・竹中半兵衛という珠玉を掌中に収めます。

いよいよ時代は織田信長を中心に回り始め、黒田家を含む周囲の大名・豪族が信長とどのように付き合っていくのかが見どころになるでしょう。
そして、小寺家の家老として存在する官兵衛が、どのように信長に通じていくのかも楽しみなところです。

第1話で出てきた官兵衛の幼少時代の子役さんは、官兵衛の長男の幼少期も演じるそうです。剣のシーンは官兵衛役の岡田准一さんが演技指導したんですって。これも楽しみですね。

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