出る杭は打たれるけれど、出すぎる杭は打たれない。
今回の信長さんはそんなところを経験していきます。
そして官兵衛の時代になって家臣が団結していく黒田家。時代もポンポン進んでいきますねえ。
~ 目次 ~
信長包囲網
いきなり織田信長さんが登場します。
俗にいう信長包囲網で四面楚歌になった信長さん。包囲網の黒幕は足利義昭。前回・第5回では蜜月だった信長さんと義昭さんですが、今回は険悪ですね。
信長包囲網って、下記の図のような感じ。岐阜~京都の実権を握っている織田家のぐるっと周囲が敵対勢力にになっている感じです。
仲間は同盟中の徳川家だけで、まあよく徳川家は織田を見限らなかったなあと思うわけです。
※画像は(c) コーエーテクモゲームズ 信長の野望 創造
の画面をキャプチャして編集させて頂いております
京都の北東、琵琶湖の西側にある比叡山焼き討ちを決意する信長さん。新しき世の中を作るため。
当時、比叡山滅びれば国が滅びる、とまで言われた総本山の延暦寺だが、そこを織田信長は焼き討ちにしました。
でもって、オープニングです。
結構月日が経って、1572年。元亀3年。官兵衛の長男の松寿丸も5歳。庭を走り回ってます。官兵衛さんは1546年生まれ。岡田君の実年齢に近づいてまいりましたね。
親戚筋からは次男の誕生を熱望され、ウナギの差し入れをいただくなど。
ウナギの映像、おいしそう・・・。
官兵衛にウナギを給仕する、おくさんの光(てる)さん。光のお姉さんは光より後に結婚したのに二人目を懐妊。
側室を持てば?と提案する光に、側室は持たないと宣言する官兵衛さん。うれしいやら、複雑な光。
シーン変わって・・・。
黒田家家臣団。暴れん坊の母里太兵衛(もこみち)。管理で悩む栗山善助と井上九郎衛門。
今回の黒田家はこれと子作りねたくらいですな。
信長、耐える
信長、足利義昭に17か条の意見書を送りつける。激昂する義昭。
信長殿は怒っておられます、と義昭に言う明智光秀。険悪な二人目のパイプ役は大変そうだ。
足利義昭の檄で、武田信玄が上洛の構えを見せ始める。
心配する秀吉と竹中半兵衛に信長は
「真の敵は誰だ。それが動くのを待つ。」
と、京都から岐阜に帰ってしまいます。このあたりの信長さんの心情はわからないのですが、あの当時の武田家の西進は最高にビビるところだと思います。よく我慢してたなあと思いマスよ。
御着城では。
小寺の殿が信長はもう終わりだなあとのんきに。
されど、あの織田信長ですよ!という官兵衛ですが、小寺家は興味なさげ。嫡子が可愛くてしかたなく、子供のために御着城を守ることしか考えていないご様子。いや、それを守れるかどうかが織田家の動向にかかわってるんですけれどねえ。
小寺の重臣の櫛橋左京亮(官兵衛の義理の父、官兵衛の後ろ盾)と話す官兵衛。家のこと。二人目の子供のこと。左京亮さんにも側室を持てと言われますが、いや奥さん一人でいいっすよ、と官兵衛さん。そんななか胃を押さえる櫛橋の義父。体調わるそう。
家臣団、まとまる
黒田家臣団。ささいなことから喧嘩になる母里太兵衛と他の家臣。
母里武兵衛はもっと立派だったぞ、と諭す栗山さん。言いたいことがあるけれども言えない感で悩む太兵衛さん。
夜、笛を吹く井上九郎右衛門に話しかける官兵衛。家中のまとまりがないねえと嘆く九郎右衛門に確かに、と悩む官兵衛。
母里太兵衛は別の家臣と喧嘩に。仲裁する栗山に母里の名前を返上しろ、と叱ります。
後日官兵衛と井上・栗山で話しているところ。
喧嘩の原因は守り袋を取り上げられたかららしいが、その守り袋に入ってる像は、官兵衛が武兵衛に与えたものでした。
太兵衛が母里家を継いだときに武兵衛の母からもらったと。これを身につけて、官兵衛を守り続けろという意図を込めてのものだったこと。
(武道的に)強くありたいと願い続けている太兵衛のきもちが初めて明らかになりました。
思いを見抜けずすまなかった!と頭を下げる栗山さん。人の気持ちがわかっていないと反省する栗山さんも、これでは先の戦で死んだ武兵衛に申し訳が立たないと。
家中の結束を大切にする官兵衛さんは、栗山さんと太兵衛に義兄弟のちぎりを交わせと命じます。栗山さんの知恵、太兵衛の武。力を合わせてほしい。
栗山を兄とし、太兵衛の面倒を見よ。
太兵衛は弟として、これから先、栗山の言うことをたがえてはならない、と約束させる。
黒田家、これで一つにまとまるか?乞うご期待!
Good-Bye 足利将軍
岐阜城で
人間50年 下天のうちを〜
と唄う信長さん。
ドラマ的には、これをとりあえずやっとけ、という感じですかね
徳川の軍勢が三方ヶ原で武田信玄に打ち破られた、と報告が入ります。
持ちこたえろと伝えよ、と信長さん。兵は出してあげないということ。同盟の徳川さんにはさんざ世話になっておきながら、結構きっついです。
子会社を結構厳しく使う親会社、的な・・・。頑張れ徳川さん。出てきませんけれど。
何を待っているの?ときく奥さんの濃姫に、それとなく義昭の暴発を待つと答える信長さん。
それを秀吉陣営も語っている。事情がわかっていない秀吉に、足利義昭の挙兵を待ってるのでしょうね、と説明する竹中半兵衛。さっすが半兵衛どのじゃあー!と竹中秀吉は往年の演技です。
信長さんは、偽りの和議を将軍・義昭に申し出ます。
和議を結びたいという信長に、進退窮まったと判断して挙兵する義昭。信長さんの狙い通りです。
武田信玄は三河で足踏み。(この時すでに亡くなっていたと思われます。上洛する戦の途中で亡くなっていたんですよねー。)
今こそチャンス!と京都へ向かう信長さん。道すがら、荒木村重が摂州茨木城主として挨拶に参じ、信長への臣従を申し出ます。
摂津の状況を説明する村重。切り取り次第の許可をもらえさえすれば摂津を平定します!と宣言する村重に対して、饅頭を刀で突き刺して村重に差し出す信長。命をかけながら刀に刺さった饅頭をたべる村重に、摂津一国、切り取り次第の許可を与える信長さん。
まあそこから税金的なものを徴収したり、兵力を供出するわけですから、主君のために使う土地ですけれどね。
かくして義昭を破った信長さん。わずか三日で降伏した義昭。一度包囲網が破れたら、あとはぐずぐずでした。
新参の家臣に摂津一国を任せたという報告を聞いた官兵衛さん。それが旧知の荒木村重と聞いてびっくり仰天、中央の情勢を聞き知るだけしかできない井の中の蛙とがっかりする官兵衛さんです。
摂津行ってくれば?ワシが留守を守るよ、とお父さんが官兵衛にやさしい言葉を。
ほんと、子供思いの父です。僕も子供ができたらこういうお父さんになるんだ! 子供ができたらね・・・。
村重との再会
摂津の茨木城。官兵衛・栗山・太兵衛が訪れた。再会を喜ぶ両者。
お茶を立てる荒木村重。まだ茶の湯の作法を知らない官兵衛に 好きに飲め、と優しい言葉。
茶の湯の師匠・千利休(当時は千宗易)からもらった茶器を自慢する村重。足利将軍家の名物らしいが、これ一つで城が買える代物らしい。
土地にしか価値が無かった時代ですが、いずれ全国統一をした際には、これ以上土地を与えられない、ということになっちゃう。
それを、いくらでも生産できる茶器に、武将が狂喜するような価値を与えることができれば、これは封建制度に大きな風穴を開けられます。
こういうところでも信長は先進的だったんだなあって感嘆するんですよね
信長ってどんな人?と聞く官兵衛さんに、比叡山の例を引き合いに信長の苛烈さを説明する村重。魔王と言われているとも。 ただし、人を惹きつける何かがあるという村重。
夜。饗応。村重の奥さんの だし さんが踊る。いい女です。
官兵衛は播磨一の知恵者と褒められる官兵衛。村重の酒をお盆イッパイに受けて飲み干す太兵衛。
酒は呑め呑め 呑むならば 日本一(ひのもといち)のこの槍を 呑み取るほどに呑むならば これぞ真の黒田武士
これは福岡県福岡市の民謡「黒田節」の一節です。黒田官兵衛は最後、福岡に城を構え、黒田家は以降福岡を地元とするのですが、そこで歌われている黒田節の中の、酒を飲んでる武士が母里太兵衛だといわれているんですね。
信長に、今のうちに誼を通じておけという村重さん。三日後には兵をまた挙げた義昭の槙島城を攻めるという村重に、その戦を見せてくれと依頼する官兵衛。
だがその夜、義理の父の櫛橋左京亮が亡くなってしまった報告が入ります。
織田信長の戦いの見学は栗山と太兵衛にまかせ播磨に戻る官兵衛さん。
しばし光と悲しむシーンが続きます。
次の時代
信長、ついに足利義昭を撃破。室町幕府を終わらせました。歴史の教科書に出てくる「安土桃山時代」はこのあたりからでしょうね。年号が天正に改まります。ちなみに織田信長が本能寺で倒れるのが天正10年。その元号の始まりがこの年なんですね。
シーンは安芸。広島の方です。一円を仕切る、毛利家のトップ会議が行われています。
当主毛利輝元と、輝元の二人のおじ・吉川元春と小早川隆景が初登場。今後濃ゆい付き合いになりますね。
ちなみに吉川元春と小早川隆景の兄弟には早世した兄・毛利隆元が居ました。その隆元の子供が輝元です。なので、オジサン二人が甥っ子をサポートしているというのが、この時の毛利家の構造です。この構成は最後まで安定していました。
時代の終了と黒田家の結束
織田信長が頑張って、黒田官兵衛はとくに何もしていない回でした。まあ、たまにはこんな回があってもいいのかも。
岡田君の実年齢に官兵衛の年齢が近づいているあたりなので、一番年相応に演技している頃じゃなかろうかと、なんとなく思ったり。
ただしすぐに放逐してしまうのは政治的にもよろしくないため、将軍を説教したり、邪険に扱ったりして怒らせるわけです。
「世話になった信長をたたこうとする悪い将軍」
のレッテルを張りたかったのでしょうね。
ところがこの義昭将軍、まれに見る文通マニアだったようで、全国に文書を飛ばして四方から信長を包囲します。これが信長包囲網。