ブログを今よりもっと高みに立たせたい、という6人が集まって先日ブログ談義をしたんですね。その時の様子は主催の
ryunagayama氏が報告してくれているのですけれど。
▼これね。
広い世界に飛び出そうぜ!本気のブログ合宿『Blogger Boot Camp』から持ち帰った10のコト | CLOCK LIFE*
この中にも出てくる「アウトプット」について、この話題の言いだしっぺでもあったので少し考えていました。
~ 目次 ~
ブログによるアウトプットは目的か手段か
自分が経験したこと、得たモノをインプットとすれば、それをブログで紹介することはアウトプットです。
そもそも、ブログのアウトプットは目的なの?手段なの?
これは人によって違うかもしれませんね。ブログの記事数に大きな意味のある人、ブログを更新すること自体に大きな意味のある人はブログによるアウトプットは目的である、という場合もあるのかと。
ブログは自分の考えを整理し、自分の人生の次につなげるためのアイテムの一つだ、と考えている方にとっては、ブログのアウトプットは手段になるのではないでしょうか。人に伝えられるように情報を整理する過程を経てブログに書くことで、インプットとアウトプットのサイクルが上手に回るのでしょうね。
もしくは両方、なのかもしれません。
目的か手段か、どちらが正しいかを議論したいわけではないし、両方あるとも思っているのですよね。僕も
君のブログはどうなのさ?
僕は・・・まあ半々かな。記事によって違うってのもあるしね。
どちらにしても咀嚼し「血肉(けつにく)にする」
インプットを食事に例えてみましょう。
その結果身体に起こるものが何かといえば、とってもざっくばらんにいって
こんな感じだったとします。では脂肪や排泄物が僕らの望むアウトプットなのかというとそうではない。
正しいインプットから得られるアウトプットは、少なくとも自分にとって血液や筋肉であってほしいなあと願いたいんです。血液や筋肉ってなんだということを食べ物の例から現実世界とブログの関係に戻してみると、それは
理解して実践するなどして、現実世界でその人の役に立ってる状態になる
ってことだと思うんですよね。
なんか漠然としてる。
うんうん。次読んでみて。
具体例を入れるとあれだけれど
たとえば買い物をしたとき。
だれそれが良いといったから買いました。良かった
って内容は、血液や筋肉のようではないアウトプットに思えるんですよね。自分がどう思って、使ってみて何を感じたか。その要素が少しでも入っていてほしいし、入っていることで血肉になっていることが端からもわかります。
たとえば勉強会に参加したとき。
タイムテーブルを時系列にレポートしました。
これも、筋肉がつきているとは言いにくいアウトプットに思えます。自分が何を狙って参加したのか、それについて何を得られたのか、得られなかったのかがあると、その人が咀嚼して得た血肉になってきているのかと。
自分なりの感想・結果がほしいってことな。
そそ。ニュース系のブログでないのであれば「著者」が見えている方が面白いのではないかと、僕は思うので。だから個人の考えや想いがほしいので。
何かを体験・体感してブログを書くなら
だから、ブログを書くならね。
こういう行為を繰り返すことができるようになりたいなあと考えた次第です。それができているかと問われたら、修行中の身かもしれませんがね。
目的にせよ手段にせよ、ブログに書く(アウトプットする)なら排泄物にならないよう良い咀嚼はしておきたいなと改めて思った次第です。何かがタメになったってブログを書くのであれば、ためになった自分を見せてあげるところまでいければ、意味のあるブログエントリーになると思う。
ためになっただけで終わってるならそれは、ほんと、ただそれだけになっちゃう。
アウトプットすることが目的なら、とにかくアウトプットすればよいと思うんですね。そういう記事だってあるし、僕も書くし。
でも、アウトプットが手段であるはずのブログエントリーなのに、手段が目的になってしまってるのを見ちゃうと切ないし、自分がそうなっていないかってのはよくよくチェックしていきたいなと思ってます。
そんなこと、言われなくても普通にやってるよ!
まあはなめちゃんはできてるよなあ。僕は結構ぶれぶれなもんでさあ。自戒の念を込めて。
Twitterでもあるんだよね
Twitterでもあるんだよね。あの場で「ダイエットやらなきゃ」って前向きっぽいこと書いて、それで満足しちゃう感じというか。
報告したり宣言したりって結構できて、はたからみると前向きっぽく見えるんだろうけれど、そこに行動が伴ったりしていないと結局あんまり意味がなくって、ただの「やるやる詐欺」になっちゃいますよね。
ごたくいいからさ、おだいじ君はちゃんとやってるの?
あしたからやるよー!