官兵衛さんの復帰最初の仕事は、長きに渡って兵糧攻めをしていた別所家の三木城の始末でした。
三木城の別所家は、党首長治と叔父•賀相の反織田派と、もう一方の叔父•重棟の親織田派がいました。籠城しているのは反織田派だけです
。まだ頑張るか、最後にひと花咲かせ、城をマクラに討ち死にするか、という軍議中に来た織田方からの使者。その使者は、叔父の重棟と、死神のような使者の官兵衛さんでした。
目つきの厳しい官兵衛さん、長治と一族の自害があれば残りの兵は助けるよ、という秀吉さんの意向を伝えました。
反織田の叔父•賀相が援軍んんんnと言おうとしたところ、
「毛利は動かぬ!」
とピシャリ。
「荒木村重も助けなかったでしょう。長治さま、家臣を守るのは城主の務め!
その務めを果たさねば荒木一族の二の舞になりまするぞ!」
鬼気迫る官兵衛さん。幽閉前の爽やかな調略ではなく、殺気立ってます。
歯向かう者は皆殺しが織田のやり方。ご決断下さい!
怖すぎる官兵衛さんに気圧されて長治さんは降伏を承知。ついに、2年に渡った三木城兵糧攻めも決着です。
~ 目次 ~
優しい献策・怖い顔
羽柴軍本陣で報告する官兵衛さん。
残った三木城の兵に酒肴の施しをしてあげることを献策します。
「ただでさえ播磨では織田の評判が良くないですから。
ここで温情を見せることで、今後の播磨の仕置がしやすくなりまする」。
先を見据える知恵はまったく衰えていませんね。しかしここまで官兵衛さんにはまったく笑顔がありません。
「官兵衛は変わったなあ」
秀吉さんの家臣がそう呟きました。
少しシーンが変わって、
「別所の一族には悪いことをした」
という秀吉さんに官兵衛さん、
「有岡に比べればよっぽどマシ…。残るは小寺にございます」。
ちょっと顔が怖い。
姫路
姫路城にて。
官兵衛パパが面談したのは小寺の重臣。
「御着(小寺の城)はもうおしまいじゃ。逃げるものがあとを立たぬ…。何も決められん殿に、皆見切りをつけておるのだ。
ワシは良い。何とか倅だけは召し抱えてやっていただけまいか」。
といって召し抱えられる重臣のせがれ・小河信章さんは、のちの黒田二十四騎として黒田家を支える存在になります。
御着劇場もラストが近く。
さて、御着。
全くもって情けない顔と声で三木城の陥落を知った小寺の殿様。
「別所一族が自害して家臣の命を救ったそうです。殿も、ご覚悟を!」
って言われて、はいそうですかという我らが小寺ではありません。自分の命に未練タラタラ。
腹を切ると仰せになれば、長男だけは黒田に助命嘆願しようとおもったのにさ…という最後の重臣。これにてお暇を頂戴つかまつる、とサヨナラです。殿が切ろうとしますが、普段から何もしていない彼が重臣を切れるはずもなく。あえなく去られてしまいます。
そして、小寺の殿様、子供を連れて逃走…っ!
亡霊
さて、有岡城では信長さんが戦勝祝いの宴を。
皆殺しにした荒木一族の怨念があるところで(趣味が悪い)…という濃姫さん。
そこでシテのお面の下から現れたのは、口から血を流しているだしさん…、の幻影!
信長さんと目があってしまいましたが、信長さんは怯みません。
村重が何処へ逃げようと探しだし、その首はねてやる!と気力をみなぎらせます。
小寺滅亡
物語前半の立役者といっても良い小寺家も、もうそろそろお別れでしょうね・・・。
この後歴史の本などにはほとんど出てきませんからね・・・。
官兵衛、硬い
深夜、一人刀を振る官兵衛さんに、光さんが気づきます。
官兵衛さん、土牢の悪夢を見るんですかね、それを振り払うかのように刀を振り続けます。
「軍師はワシ一人、半兵衛どのに後を託されたのだ…。」
そしてある日、庭の藤の花を見ている官兵衛さんの元へ善助さんが走ってやってきます。
「殿!御着の小寺政職どのを捕らえました!」
「縄を解け!ワシは小寺政職ではない!」
強気にすっとぼけますが、縄を解け、と命令口調になるあたりに身分の上下意識があり、それが小寺を証明していることもわかっていないご様子。
もっともそれ以前に全てバレてもいるんですが。
まずやってきたのは官兵衛パパ。
井上九郎右衛門さんが
「毛利領へ逃れようとしているところを捕らえました」
とご報告です。
官兵衛パパ、怒る
さっきまで小寺ではない!と言い張ってたひとが、
おお、職隆(もとたか)〜。
とヌルい声をだして助けを乞います。
「縄を解いてくれ。仮にもワシはおことの主君じゃぞ!」
「その主君に、我が黒田家は、見捨てられたのでございます。
官兵衛は、あなたに謀(たばか)られ、危うく命を落とすところでござった」
「何かの行き違いじゃ。ワシは謀ったつもりなどない!
村重が勝手にやったこと、ワシは何も知らんのじゃ!」
あまりに情けない、無責任な小寺の言葉に普段は温厚で我慢強い、粘りづよい官兵衛パパも怒りが頂点です。
刀に手を掛け、
「何故、何故官兵衛をっ!」
と切りそうになったところで官兵衛さんが登場。
官兵衛さんには全面的に謝って見せる小寺。
「堪忍してくれ、わしが悪かった。全てはそそのかされてのこと」
と、自分の責任だけは否定する、相変わらずのダメダメ加減ではあります。
聞いている官兵衛さんの目が怜悧で、キッツイです。
「殿、私は16の時より殿に使え、実の息子同然に思われていると信じておりました。」
「そうじゃ官兵衛、おことはワシの息子じゃ。今もそう思ってる。」
もちろんそんな言葉を真に受けている官兵衛さんではありません。
・・・縄を解いて差し上げろ。二人にしてくれ。と官兵衛さん。
バカ殿様の声が届いちゃった?
官兵衛パパも家臣たちも、解いていいのかよ!という表情を見せます。
腹を召されよ
二人きりになった官兵衛さん、小寺に近づき、
武士らしく腹を召されよ
と脇差を突き出します。切腹させてあげるあたりは温情ですなあ。
「出来ぬ!イヤじゃ!許してくれ、ワシには出来ぬ!」
と庭をのたうちまわる小寺、同じ生への執着でも、荒木村重さんとはまったく覚悟が違います。ここまで情けない演技ができる片岡鶴太郎さんも、えらい。
「かくなる上は致し方ございませぬ」
と刀を振り上げ、城主としての務めを果たされよ!小寺、覚悟!と構えますが、その目からは涙が溢れます。
そして一閃!
しかし、その切っ先は小寺に届きませんでした。
もはや切る価値も無くなってしまったこと、どんな理由があっても主君に手を上げるわけに行かなかったことが複雑に入り乱れています。
やっと笑った
後日、小寺を捕らえながら、逃がしてしまいました、と秀吉さんに報告する官兵衛さん、秀吉さんは良い良い、と気にしていないご様子。
「家臣からも領民からも愛想をつかされているものを何処へにがそうと構わん。お主の気が済めばの話だがな。」
「切ろうとはしました。…しかし、切れませなんだ…。」
ため息交じりに語る官兵衛さん。何故、切れなかった?と聞く秀吉さんに
「それがしの甘さでございます」。
「それで良いのじゃ。にくい敵を切らずして逃がす。それでこそ官兵衛じゃ。少し気負っていたのではいのか?死んだ半兵衛の分まで働かねば、とな。
官兵衛は官兵衛でいいのだ、そういう男だからこそ、ワシは官兵衛が好きなのじゃ!信用できるのじゃ」
秀吉さん、優しいよ!天下を取るまでの秀吉さんはまさに人たらしです。人が好きで好きでしかたない、というのが良く見える人でした。
ここで幽閉後、初めて官兵衛さんから笑顔が見えました。心も癒されたんですね。
大名・藤の家紋
書斎から庭の藤の花を見る官兵衛さん。柔和です。
光さんから小寺の殿をにがしたことについて褒められたあと、黒田家の久しぶりな倹約ネタ。これをもって、官兵衛さん完全復活という線引きですね。
佐久間信盛、追放
さて、石山本願寺との和睦を図っていた織田。織田の重臣、佐久間信盛さんの調停、天皇家の計らいもありついに和睦と相成りました。
評定にて、
光秀、よくやった
秀吉、よくやった
勝家、あっぱれである
ははぁっ、とうれしい重臣たち。
次は俺か・・・という表情の滝川一益さんをすっとばし、
「信盛、覚書をしたためた。蘭丸、読め」
と語る信長さん。本願寺との戦を和睦で終わらせたご褒美かな?と信盛さんが思ったかどうかわかりませんが、ちょっとうれしそうです。
蘭丸さんが読みます。
「5年間本願寺を囲んでおきながら、格別の武功をまったくあげておらぬ!」
ほめられると思いきや責められてええっ!?という表情をする佐久間さん。
続いて
「武士らしく戦いもせず、調略もせずひたすら寺を囲むというのは分別もなく未練がましいことである!」
他の重臣も凍りつきます。
さらに
「30年奉公している間に比類なき働きと称されることをしたことは、ただの一度もない!」
「この上は何処かの敵を平らげ恥をそそいで武功をあげてから帰参するか、または敵と戦って討死するしかない!」
「信盛は髪を剃り、高野山に隠居し、この先幾年も許しを請うべきである!」
さらに信長さんが直に語ります。
「天正元年朝倉攻めのおりワシに口答えをしたこと、よもや忘れてはおるまい。
使えない道具はもってはおれん。今すぐたちされ!」
これがわかりやすいですかね。実際は織田信長は佐久間信盛に、概ねこんな内容で非難したようです。19個のマイナスポイントを挙げたわけではないようですけれど、19条って言われますね。
最後に、今から武功を挙げるか隠遁するかどっちかにしろ!と信長が迫り、隠遁を選択したのではないかと思います。
林通勝・安藤守就という長く勤めた家臣も放逐している信長。古くは自ら殺した弟・信行(信勝ともいう)に付いていた家臣が柴田・佐久間・林なのですが、反省してしっかり勤めている柴田以外は放逐のタイミングを狙っていたのかもしれませんね。
そして重臣でありながら功労が無いと・・・。
「光秀、信盛の兵はそちの配下とせよ。」
光秀さん、さらに大所帯といいますか、強力な兵を持つことになりました。
織田家、激震です。勝って兜の尾を締めた、と言えなくもないけれど。
光秀さんが一番出世となりますが、これすらも本能寺の変の前フリですね…。きっとね。
官兵衛、大名に
そして秀吉軍でも論功行賞が行われました。
官兵衛さん、ここで1万石を頂戴し、ついに大名の仲間入りです。おめでとう官兵衛さん!
目薬を売ってしのいでいた黒田家が大名となった、という黒田家内の喜び、ここで官兵衛さんは新しい家紋を披露します。
そこには藤の花が描かれていました。
File:Japanese Crest Kuroda Fuji tomoe.svg - Wikimedia Commonsから引用しました!
有岡城で幽閉されていたおりの唯一の希望がこの花であったこと。
藤の花を見るとあの時の辛い思いが蘇ると同時に、生きようと思う気持ちも湧いてくる。
我らは多くの死を見てきた。身内、家臣、恩人。死があればこそ命は動き、そして尊い。
黒田の者はみな、命の重みを噛み締め、ともに力強く生き抜いていくのだ。
その思いを、この家紋に込める!
大名•黒田家の新たなスタートです!