黒田官兵衛

【軍師官兵衛】第26話 高松城の忠義の士

2014/07/04

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織田家は毛利攻め。いよいよ官兵衛さんの長子・長政さんの初陣も近づこうとしていますね。
初陣にあたり官兵衛さんが「おつき」に指名したのは武辺者の太兵衛さんでした。諸事、指南せよ、という指示に太兵衛さん

「命に変えて若をお守りいたします!」

やる気満々。

嫡男の長政さんに向かって、毛利との決戦、容易ならざる戦いになるであろうという官兵衛さんに、

「父上のお役に立ってご覧にいれます!」

うむ、初々しくも頼もしい長政さんでいらっしゃるわい。

←第25話のレビューはこちら。

初陣はまだか

秀吉軍は毛利との国境を目指し、2万の大群を備前に向かいました。いよいよ織田vs毛利の決戦が近づいて来ている様子です。高まってきますね。

官兵衛さんの奥さん・光さんは、なんで官兵衛さんが長政さんに太兵衛さんをつけたのかが不思議でなりません。

「官兵衛のことだ、何か考えがあって太兵衛をつけたに相違ない」

とパパは達観していらっしゃいます。

長政、焦れる

備前の黒田本陣では、動かない黒田軍に焦れている長政さんが描かれています。
重臣の栗山さんが「こたびの戦は形ばかりのものです」
同じく重臣の九郎衛門さんも「戦はこれからでございます」
太兵衛さんは「探しましたぞ」。置いていかれたらしい・・・。

まあ、長政さん、初陣できなくて焦ってる感アリアリですね。

秀吉さんの養子・秀勝さん(信長さんの4男だった人)が一足先に初陣を果たしました。まあ小さな戦に勝ったというところなのですが、その様子すらも苛立たしいご様子で。初陣&幸先の良い勝利でささやかに宴が開かれています。

宴会のさなかでも、秀吉さんは蜂須賀小六さん・官兵衛さんと軽く作戦を練ります。
やっぱり備中で要になるのは高松城の清水宗治さん・・・。

ここさえ調略できれば他の6城もなびくでしょう、という話を官兵衛さんがしているところで、調略という言葉に反応、また戦ができないのかと焦る長政さんでした。

忠義の士

さて、小六さんと官兵衛さんは敵の高松城・清水宗治さんのところに会いに行きます。
織田方についてくれれば、備中・備後の国主にしますよ!と交渉材料を提供します。

が、清水さん、

「田舎侍には身に余る栄誉、されど、某がこんにちあるのは毛利家のおかげ。その毛利家より国境を任された以上、城を枕に討ち死にするまで」。

見事な忠義っぷりです。

「はじめから死ぬおつもりか」と官兵衛さん。

宗治「今のわれらの手勢では勝てるとは思いません」

官兵衛「その戦を、なにゆえ」

宗治「死ぬことが、某の役目。1日でも2日でも侵攻を食い止められれば、それで良い」

感嘆した蜂須賀小六さんが

「あっぱれなご覚悟!そういう忠義の士こそ味方にほしい。考えなおしてほしい、2カ国ですぞ」

というものの、宗治さんは

裏切りによって得た国など、また裏切りによって失いましょう」。

残念、調略失敗です。

再会

長政さんと太兵衛さんが城内を歩いていると、たんぽ槍で稽古する二人の侍が。
大きくなった虎之助・市松(加藤清正と福島正則)でした。

初陣が果たせない長政さんは、清正さんらと槍を合わせて稽古し、ストレスを発散します。
のちにこの三人は、関ヶ原の戦いでともに東軍として活躍することになるんですよね・・・。

甲斐平定

織田が6万を率いて甲斐の武田家を滅ぼし、論功行賞(戦いの後の武将の評価)が行われています。武田信玄の時代には戦国最強と言われていた武田家ですが、時代の趨勢ですね・・・。

手伝ってくれた徳川軍などへの褒賞を済ませたあと、滝川一益さんに

「こたびはよう働いた。上野(こうづけ=およそ群馬県)+信濃2郡を与える」

とおっしゃるけれど、一益さん、

「ありがたき幸せ!・・・・」

信長さんの不服か?の声に

珠光小茄子(しゅこうこなす・茶入れ)を、できれば頂戴したく」。

信長さんは「あれはやれん。欲しければ、あれにふさわしい手柄をたてよ!」と許してくれません。

当時、信長さんから茶器をもらえるということは、その武将が「茶会」を開いて良いという権利・名誉を与えられたということで、とても価値あることだったのですね。

当時、褒美は土地を与えるくらいしかなかった封建時代ですが、そこに茶器という生産可能なもの、そして茶会を開くという「権利」を与えることに価値を植え付けた織田信長の先見の明が見て取れる逸話だなと思っています。

そして、この珠光小茄子は戦国時代の相当の名器だったそうですね。

心頭滅却すれば火もまた涼し

「信忠(信長さんの長男)、お主は諏訪に残り後始末をせよ」
と信長さんが指示してるところにビッグニュースが!

かつて織田軍を苦しめた
六角義治
さんが、どうやら甲斐の恵林寺に逃げ隠れているらしい!とな。
これ、15年くらいの仇敵なので、信長さんはもう倒したくて倒したくて仕方ない相手です。

引き渡さなければ恵林寺ごと焼き払え!という信長さんに明智光秀さんは

恵林寺の住職・快川紹喜さんは帝に仏法を教える「国師」でございます。
昔の師であるので、説得のチャンスをください!

とお願いします。

国師というのは朝廷から僧侶に対して贈られる貴重な呼び名です。天皇陛下に仏門について教えられるくらいのクラスの方が呼ばれていた名称で、快川紹喜はそれだけの人物だったということです。

信長さんは六角の首を必ず持ってまいれという条件付きでこれを許しました。

説得不調

恵林寺で快川和尚と会う光秀さん。六角を差し出してくださいとお願いしますが、和尚は

「ここには神仏に帰依するものしかおらぬ。そのようなものがいるかどうかも知らぬし、仮にいたとしても引き渡すわけには行かぬ」。

あ、シーンが変わって、あっという間に信長軍が山門に火をかけてしまいました。

この時閉じ込められ、150人あまりの僧侶が焼き殺されましたが、最後に快川和尚が

心頭滅却すれば火も亦た涼し

と名言とも言える辞世を残しました。

今でも多くの人が知っている名言ですが、この和尚の言葉ではなかったという説もあります。まあ通説はこれなので、細かいことは気にしなくていいと思います。
また、せっかく恵林寺を焼き、国師を焼き殺したのに、当の六角義治は生き延びて、そこそこ天寿を全うしたらしいんですよね。なんか無駄骨で人殺しだけしちゃったイメージの織田信長です。

焼き打たれた恵林寺を見て愕然とする光秀さん・・・。「なぜここまで・・・ 和尚・・・」。
あれ、何かのフラグ?

公家、怒る

京都の御所では公家が荒れ狂ってます。

「信長さまは朝廷の意向をないがしろにする、このまま捨て置いてはらなんなあ」。
「どないしますか」?

怪しい打ち合わせを。公家に武力はないので、誰かをそそのかすしかないんだけれどね・・・

長政、焦る

長政さんは岡山城に。宇喜多直家さん亡きあとの岡山城です。

太兵衛さん、

「若、戦は近いですぞ。匂いがします。戦には、匂いがあるのです・・・」

鼻をひくひくさせる長政さんですが、その匂いじゃないって!とテレビの外から突っ込みを入れたくなるべたな流れでしたね。

ふたたび忠義の士

さて、備中高松城には、ふたたび官兵衛さんが清水宗治さんを訪ねました。

「無益な戦を避けるため・清水殿を死なせぬために参りました」。

あなたほどの男が勝ち目のない戦で命を落とすのはもったいないのでございます。
命には使い道がございます。命を無駄に使ってはなりませぬ。

官兵衛さん必死の説得。

有岡城の幽閉以降の官兵衛さんは、あんまり爽やかな弁舌というものがありません。ところどころに聞き迫った感があるのが良い演出だと思いました。

清水宗治さん、

「そのお言葉の通り、今が我が生命の使い方です。毛利のために我が生命を使うのみ。官兵衛どの。次は戦場でお会いいたそう」。

いや、恰好いいですね。めっちゃベビーフェース。
多分歴史ファンでも、清水宗治好きって多いんだろうなと思いますよ。

高松城下

その帰り道か、官兵衛さんは家臣らと高松城周辺を調査しつつ散策しています。
水気の多い土地・田んぼ・沼、山と土手に囲まれた高松城の攻略を考えているみたいですね。

夜、里の古老に話を聞いてみると、
雨が降るとあたり一面水浸し。3年前にも足守川(高松城の近くを大きく流れる川)が溢れて城の周囲がすべて水浸しになった
だそうな。

そこに放たれた矢文。
こんな手を使うのは、「あの狸坊主(安国寺恵瓊)だ」

毛利の評定で安国寺恵瓊さん、小早川隆景さんから、もしものときのために官兵衛と和睦に関する話をしてくるよう指示を受けていました。

長政の初陣

備中の国境にある複数の城のうち、一部は落ちました。
冠山城などは力攻めにし、高松城をなんとかしようというのが秀吉軍の作戦。

どうやらこのあたりの戦で長政さんの初陣となりそうです。

辛くも

加藤清正さんが一番乗りするなどして長政さん焦っています。
そこで敵とエンカウントした長政さん、ついつい前に出て戦ってしまいます。
的に押されて尻もちをつき、あやうく首を落とされそうになる長政さんですが、太兵衛さんの助けを借りて兜首を取ることが出来ました。

まあもちろん全体の勢いも違い、初陣は勝利。秀吉さまにもお褒めの言葉を頂きました!と官兵衛さんに報告する長政さんに

「お前はイノシシか。猪武者か。お前は黒田家の大将となる身。もっと命を大切にせよ」

褒められると思ったのに叱られれば、むっとしますよね普通。

「私は半兵衛様に命をたすけられた身。半兵衛様に「父を助けよ」と言われておりました!」

「半兵衛どのの言葉を履き違えるな。命を粗末にしては何にもならぬ。生き残るための戦い方をせよ。」

「私は武士です。調略ではなく槍働きで武功を上げたく存じます!」

お父さんに理解されないと思いストレスがたまってる長政さんでした。

長政さんが去ったのち、栗山さん、官兵衛さんに「殿の若いころに似ておりますなあ」と語ります。この二人も、もう長いもんですよね。
「わしは初陣の時はなんのお役にもたてなかったが、長政は兜首を挙げた。大したものだ」。本当は官兵衛さん、嬉しかったんですね。子供に見せないとは、ある種の親の愛だ。

善助、わしがなぜ太兵衛をつけたかわかるか?
長政には「己は一人ではない、皆に守られて生きている」と悟ってほしいのだ

ここで初めて太兵衛さんをつけた意味が明らかになりました。

羽柴と毛利

所変わって、官兵衛さんは薄暗い寺っぽいところで狸坊主(安国寺恵瓊さん・毛利の外交僧)と話をします。

安国寺「手を、組みませぬか?」

官兵衛「誰と、誰が?」

安国寺「羽柴様と、毛利でござる。両者が手を組めば、天下を取るのも夢ではない」。

官兵衛「織田と毛利ではなく、羽柴様と毛利か・・・
荒木村重はそうやって滅びた。わしも秀吉様もそこまで愚かではない。だが、無駄な戦を避けたいというのは我らの本音。今織田に下れば、安芸、備後、周防、長門、4カ国はお約束します」。

安国寺「4カ国・・・それはまた厳しい。おそらく吉川・小早川は承知せぬと思います」。

官兵衛「ならば、戦になります」。

安国寺「致し方ない」。

先の清水といい、安国寺恵瓊といい、毛利との会話は不調だらけの官兵衛さん。よくまあこの後・・・。

去り際に安国寺恵瓊さん、
「わしは、羽柴様が好きじゃ。昔から買っていたが、今はそれ以上になられた。先が楽しみですな・・・」。

また意味深な言葉じゃないですか。

高松城、水攻め

さて、備中は雨季に入ろうとしています。雨の降る本陣の中、高松城周辺の模型を作りながら官兵衛さんは策を練っています。

「このような策、うまくいくのか・・・・。いや、この手しかない」。

と決意して、ついに秀吉さんらにプレゼンを行います。

「水が邪魔をする高松城、逆に水を使います。城の周りはすり鉢(の底)のようになっています。水のはけ口を塞ぎ、川の流れを変え、上流から水を高松城に流し込みます」。

「水攻めか」と秀吉さん。

官兵衛さん、「兵糧は水浸し。これこそ戦わずして勝つ方法というもの」。

秀吉さんからGoが出ました。

その頃、第2子をみごもっていた光さんは元気な男の子を出産しました。
熊之助さんと名付けられた男の子です。

戦は金じゃ

高松では工事が始まっています。

土を詰めた俵を農民が持ってきたら、それを秀吉軍が買い取るというやり方。
土を固めて堤防を作ったら賃金を弾むというやり方。

まだ高松城の兵士はわかっていませんが、清水宗治さんは

「まさか・・・」

と気付き始めます。

そしていよいよ雨・・・。水が、どうなるか・・・。

自習予告?

あれ、次週予告、当代随一の落語家さんが「敵は、本能寺にあり!」なんて言ってますよ???
今週もいろいろ含みのあるセリフが多かったですし、これが次回、いろいろ収束してくるのでしょうかね?楽しみです。

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