三法師を抱えた秀吉さんの時代になろうとしている世に「待った」をかける戦国武将がいました。徳川家康さんです。江戸時代を作る人ですね。
家康さんに縋ったのは信長さんの次男・信雄さん。
徳川さんいわく、信長さんの恩を忘れないがしろにする、ということらしいですね。
羽柴vs信雄・家康という喧嘩が始まります。いわゆる「小牧・長久手の戦い」です。
この戦、官兵衛さんと蜂須賀小六さんが毛利と折衝しているうちに始まったもので、戦評定で意見を述べていたのは信長さんのころからの同僚だった池田恒興さん・森長可(ながよし)さんら。
秀吉さんの出来た弟さん・小一郎秀長さんは
「兄者、官兵衛がいないときにこのような大戦をしてもよいので?」
と弟らしく伺いを立てますが、秀吉さんは強気で
「官兵衛には幾度となく書状を出した。そのたびに今は動くな、の一点張り!」
近頃「お付きの人」として上り調子の石田三成さんも
「負けるわけがありません」
と強気のコメントです。
敵が、動きました!
と報告を受けるのは徳川家康軍。
兵糧攻め、水攻めなどテクニカルな戦を繰り返し、また信長さん亡きあとの家を急速にまとめ上げた秀吉軍に比べ、姉川の合戦、三方ヶ原の合戦など、
昔から
一致団結して
強敵と
野戦を戦ってきた
徳川軍は自信を持っています。
「打って出よ」
と指令を出します。
官兵衛さんは小六さんと対毛利の折衝。そこに井上九郎右衛門さんが、秀吉軍、徳川軍に大敗の報告を持ってきました。
止めろっていったのになああ・・・・。
この戦で、池田恒興さん・森長可さん、討死してしまったんですよね。
長いイントロのあと、オープニングに。
~ 目次 ~
敗戦の報
官兵衛さんは、播磨の「山崎」という土地に、新たな領土が与えられました。
石高も4万石とジャンプアップです。
このころ戦国武将の国替えは多発していましたが土着の農家や商人などと武将はなかなか折り合いがつかないものです。
その山崎の城で、黒田軍は先の小牧・長久手の戦いについて話し合っています。
武辺ものっぽい太兵衛さんが
「長久手では家康に完膚無く叩かれました」
と静かにいえば、善助さんが
「しかし、そのあと上様は信雄様を追い詰め、そうそうに和議を結びました」。
小六さんが
「要するに引き分けじゃ」
とまとめます。
もともとは羽柴秀吉と織田信雄の戦でした。
単独では勝てない信雄が徳川家康を頼り、
秀吉vs信雄・家康連合軍
という形となり、秀吉は野戦で家康に敗れます。
このままではいかんという秀吉は織田信雄と講和してしまいます。
すると徳川家康は戦うそもそもの理由がなくなってしまった・・・という流れですね
「官兵衛とわしが陣におれば、徳川ごときに負けはせんかった」
という小六さんですが、官兵衛さんは否定的です。
「そもそも、徳川と戦をしてはならなんだ」。
小六さんからは
「上様の前で蒸し返すなよ」
と、先を読まれで注意を頂きます。
話題は毛利との具体的な領地分割が難航したことになり、そんな中で忙しい官兵衛さんは大阪から四国攻めの準備を。
そこで、新しい領地の山崎の地を、嫡男・長政さんに預けました。
「領民の声に耳を傾けよ」
という指示に、張り切る長政さん。
偉くなる秀吉さん
秀吉さん、朝廷とは仲良くしているようでして。
内大臣になってしまいました。
まあ、織田政権を実質引き継いだのですから、そういう評価は受けますよねえ。
新築した大阪城で石田三成さんを連れて歩く秀吉さんのもとへ、官兵衛さんが訪れます。三成さんもひげをはやし、貫禄をつけようと頑張っているところでしょうかね。
難しい顔をしている秀吉さんですが、いまだなついてくれない信長さんの姪っ子・茶々姫の気をひこうと一生懸命なご様子で。
このころには、だいぶ「色好み・秀吉」は定着してきているんですよね。
まあ、ドラマじゃ描かないでしょうけれど。
茶室に通され、千利休さんのお茶を頂く官兵衛さん。
「久しぶりの大阪はどうじゃ」という秀吉さんに、繁栄していてすごいですねーと返す官兵衛さん。
信長時代の最後に本願寺勢が退去したあとは織田の武将が管理していましたが、清州会議の後に秀吉がこの地を確保しました。
そして秀吉の本拠として、この大阪の地に大きな城を構えました。1615年の大阪夏の陣までは豊臣の城として、その跡江戸時代は徳川幕府の拠点として利用されました。
京都と大阪城は淀川でつながっているため、往来も楽だったみたいですね。
「いずれこの大阪は、京にも勝る大きな町へとなりましょう」
というのは三成さん、確かに大きく立派な街になっています。2014年の今でも。
「関白殿下にふさわしい街にございます」
というのは千利休さん。
「宗易どの、まだなったわけではない」
と否定する秀吉さんですが、否定したのは町のことではなく「関白」のことであるみたいで。
官兵衛さんにはお話してなかったらしいのですが、秀吉さんは関白になることに決めたらしいのですね。関白は公家にしかなれないものなので、百姓上がりの秀吉さんは、元関白で公家の近衛先久の養子になってから関白になる、ということらしいです。
関白になれば戦に大義名分がついて回ることを喜ぶ官兵衛さん、四国攻めにもはずみがつきそうというものです。
でも秀吉さんのご執心は徳川家康のようで。
「まずは徳川を攻める。こたびは決して負けぬ」
「上様お待ちください。何故徳川と・・・」
と官兵衛さんが質問した瞬間に、三成さんが「上様、そろそろ・・・」と口をはさみます。
茶室に残された官兵衛さんと千利休さん。
「徳川を今一度攻めようと進言されたのは石田三成さまのようです」
「大したものです。あの若さで、権勢をほしいままに」
「このところ上様は石田さまを重宝がられ、片時もおそばからお話になりません。茶々さまとの間を取り持っておられるのも、石田さま」
利休さん、裏話をいろいろご存じでいらっしゃいますね。
茶々
秀吉さんのプレゼント攻勢にも「秀吉はわが父母の敵。何ゆえそのようなものの側室にならねばならぬのじゃ」
と至極まっとうな怒りを三成さんにぶちまけているのは茶々姫さん。
三成さんは「側室ではありません。二人目の正室としてお迎えしたいと仰せです」
「嫌じゃと言うておろうが!」
「このまま日陰の道を歩むのか、それとも新たな望みが待ち受ける、日の当たる道を選ぶのか、選ぶのは茶々様ご自身でございます」
三成さんは説得します。
おねさんは秀吉さんの居室へ
「近頃は誰ぞの威光を傘に来て、人が変わったみたいになっておられますなあ。お前さまは何故、官兵衛殿を遠ざける」
軽くお説教をかまします。
「小牧・長久手の戦では、官兵衛殿がおらぬままはじめられ、敗れてしまいました。
今もまた、官兵衛様に相談せぬまま、新たな戦を考えておられる。」
秀吉さん、意見されることにちょっとイラッとしている模様。
「おねよ、大将はこのわしじゃ。官兵衛に頼らずとも、やっていける」
「官兵衛どのの策なしでは、勝てませぬ。これまでのことを思い返してみなされ。官兵衛どのは常に先を見通し、お前さまをどれだけ助けてきたか・・・」
「おね、お前の言う通りじゃ。官兵衛は先が見えすぎる。上様が光秀に討たれたと書状が届いたとき、このわしに何と言ったと思う?『殿の御運が開けましたぞ』こう申したんじゃ」
ワシは、官兵衛のおぜん立てに乗っかっていただけじゃ。
と語る秀吉さんは少し恐れたような表情も垣間見せます。
そんな話が秀吉夫妻の間で交わされていることもつゆ知らず、怖い顔で歩みを進める官兵衛さん。通りがかったのは元荒木村重さんでした。
秀吉さんのお伽衆(諸国の動静を話したり政治・文化について語り合う話し相手のような人)として召し抱えられているそうで、名前も「道糞(どうふん)」から「道薫(どうくん)」に改めたようです。まあ、秀吉さんのお話相手が糞じゃ示しがつきませんからね。
「上様は少しお変わりになられた」
と耳元でささやく道薫さん。天下が見えると人が変わるという持論の確認ですね。
今回はこれですれ違って終了・・・。
日が改まって官兵衛さん、秀吉さんにじきじきのご換言。例のごとく秀吉さんは、三成さんを連れ添って応対です。
テーマはもちろん徳川攻め。
徳川攻めを主張した張本人・石田三成さんも秀吉さんサイドとして語ります。
今攻めれば必ず勝てる、という秀吉さんに
「勝てませぬ。戦われた殿ならおわかりになるはず」
倍の兵力を持っていた秀吉さんがなぜ家康さんに負けたのか、自分がいたから、いないからという話ではなく、一致団結している三河衆の結束の強さにまけたのですよ、と。
「官兵衛様、そういう戦いを勝ちに導くのが軍師のお役目では!?」
語る三成さんに
「無謀な戦を止めるのも軍師の務め!」
とぴしゃり。
四国や九州を平定すれば、徳川家は臣従してきます。
秀吉さんの前で、官兵衛さんと三成さん、激しく言い争っていますね。三成さんはいろいろ秀吉さんの配下の武将と関係が悪くなるのですが、官兵衛さんとはこれがきっかけかな・・。
「このわしが間違っておった」
と方針を転換した秀吉さん、四国攻めへレッツゴーです。
それを聞く三成さんはご不満の大きな怖い表情を見せて、のちの禍根の種っぽいところは終了。
山崎の内政
長政さんの奥さんとなった、小六さんの娘・糸さん。
黒田家お約束の「倹約」「ケチ」論争を一通りやって見せます。
その倹約家風の若・長政さんですが、なかなか新しい地元・山崎を治めにくいみたいですねえ。
地元農民の有力者から広く意見を聞こうと農民たちを集め、「自由に意見を申してみよ」と。
いろいろと批判的なご意見を頂いたあとに官兵衛さんの批判もいただいた長政さん、思わず刀の柄に手をかけてしまいました。これをみて農民は恐れ慌て、心をさらに閉じてしまいました・・・。
農民との交渉が失敗したけれど官兵衛さんに任されたことがプレッシャーになっている長政さん、又兵衛さんに愚痴っています。
黒田の教え
農民との会合に同席していた善助さん・太兵衛さんから相談を受けているのは官兵衛パパ。内々のことで困った時には頼りになる人です。
相談に乗っているところで新たな客人は又兵衛さん。
若(長政さん)のことでご相談が・・・。
と、家臣に心配されている長政さんです。
官兵衛パパは長政さんのところを訪れ、おしゃべりをします。
黒田の昔ばなしで、薬草を取りに行ったときのお話をして聞かせます。
若い芽まで取ってしまったことで、これでは次の地に何も生えてこない。
ころあいが車で摘み取るのを待つ、ということを幼いときに教わった。
という昔ばなしをしてあげました。
大阪から山崎へ帰る途中で姫路の官兵衛パパを訪れた官兵衛さん。少し体調が悪かったようですね。
そんな中で、山崎の統治についてアドバイスを授けたパパ。さりげなく長政にもっと教えてあげなさい、と伝えます。
稽古している長政さんおそばで水を汲んでいたいた糸さん、
「黒田家では不始末があると手打ちにある」という噂が広がって使用人がやめてしまいました・・・。とのことでした。
そこに立ち戻った官兵衛さん。さっそくのお説教タイムです。
仮に命に背くものがあっても、我らが彼らを信じてやるのだ。
物事には順序がある。心を一つにすることができれば、厳しき命にもしたがってくれる。お前のやり方は、育たぬうちに刈り取りをするようなもの。
官兵衛パパと官兵衛さんから同じことを聞いた長政さん、何かが腑に落ちたようです。
その場で善助さんに「今一度村人を集めてくれ、皆に詫びる」と改める長政さん。すぐに改めるのは良いことですね。
四国攻め
わずか2か月で四国を平定した秀吉さんは、四国攻め中に関白になりました。
四国攻めが黒田官兵衛の働きで短期間で終了した、という話を聞いた徳川家康さん。「こいつはやばいぞ」
な目つきをします。
小牧ではいなかったのかぁ。ってことでもあるんでしょうね。
大往生
姫路の隠居所で孫たちに駒遊びを教える官兵衛パパは医師に腰かけ、日差しや蝉の鳴き声を感じながら、子供たちを見守ります。
そこで、一切の音が途切れます・・・。
何一つつらい表情を見せずに、官兵衛パパ、静かに、眠るようにお亡くなりになりました。
亡くなった石に向けて両手を合わせながら
「父上、ありがとうございました。あとはお任せを・・・」
「家臣を信じ、家族を慈しみ、この乱世をみなで生き抜くのじゃ、官兵衛」
と官兵衛パパの昔の言葉をかみしめたところで終了。
柔らかく鷹揚とした、パパの最期でした。