天正13年7月に、ついに関白となった秀吉さん、性を羽柴から豊臣に改めました。
官兵衛さんは亡き父のお墓に向かって平和な世にすることを改めて誓います。
官兵衛さんは播磨と大阪を行ったり来たり。留守を任されているのは痛い目も見てすこし大人になった嫡男・長政さんです。
あっさりとオープニングへ。
~ 目次 ~
関白
関白となった秀吉さん、これまでの織田家の朋輩ではなく、自分の子飼いの武将たちを重用することになります。
石田三成さんを筆頭に、福島正則さん、加藤清正さんらが官位を授かり、いわゆる側近の座を占めるようになりました。
金ぴか羽織の秀吉さん、
「私利私欲の争いは、この豊臣秀吉がゆるさん」と宣言した秀吉さん、自分のキャッチフレーズを付けました。それは
天下惣無事
というもの。
各地の大名に争いをやめることを命じました。これが「命ずる」ことができるのが、関白の威力ですなー。
「いまだ従わぬのは、東の徳川・北条、九州・薩摩の島津」
蜂須賀小六さんが言えば、官兵衛さんが
「徳川・北条は手を結び、守りを固めておる。島津は豊後の大友を攻め滅ぼす勢い」と現状分析。
もし従わぬ時はこのわしが成敗いたす
と秀吉さんも大義名分をもっていきます。
恩賞
さて、黒田家は大阪にも屋敷を与えられています。大阪の天満にあるのだそうで。
その黒田屋敷では、官兵衛配下の3強・善助さん、井上さん、太兵衛さんが語らっています。
「殿下(秀吉さん)は九州を攻めるとのうわさじゃ」(善助さん)
「先方はわれら黒田に相違あるまい。また、ただ働きだ」(太兵衛さん)
「何を言うか太兵衛」
「蜂須賀様は阿波、小早川様は伊予、安国寺様まで所領を与えられて大名になったというのに・・・。四国平定を先導したわが黒田には何の恩賞もないッ・・・」
太兵衛さんご不満なようですね。酒をあおってます。
「殿は昨年4万石に加増されたばかり。恩賞などほしくないと、お断りになったのじゃ」
善助さんはなだめますが、ここまで物言わず琵琶のような楽器をベベンと鳴らしていた井上さん。
「それだけかな・・・? 殿のことを快く思わない者が、殿下のお傍におるのではないかな・・・」
はい、石田三成さんのことですね。
「めったなことを言うではない、九郎右衛門」
さすが穏便な善助さん。
油断ならぬ・・・
その三成さん、大阪城をのしのしと歩いております。
秀吉さんとの会談にて
「家康はまだ上洛にうんと言わぬか」
「はい。再三使者を立てておりますが、人を食ったような返答ばかり」
当の家康さん、「憤慨して兵を差し向けるなら美濃あたりで出迎え一戦交えるまで」と鷹に餌を与えるカットが挟まれます。
「やはり攻めるべきでは」
もう、徳川を攻めることで手柄を立てたくてしかたのない三成さんの進言に
「官兵衛の申す通り、もう家康とは戦わん」
軍略に関しては官兵衛さんのいうことをきっちりと守る秀吉さんです。
「え~っ。マジ?」
という表情の三成さんに
「戦わずして、我が軍門に下らせる策を考えるのじゃ」
と秀吉さんは命じました。
「不服か? 政(まつりごと)に関してはおぬしほどの男はおらん。じゃが、いざ戦においては、官兵衛の右に出るものはおらん。あやつは、常に先を見る。このわしの考えを聞かずとも、常に先を言い当てる。その様は、気味が悪いくらいじゃ」
秀吉さん、官兵衛さんを評価しているというよりは恐れている、という感じですね。
「それゆえ油断ならぬのでございます」
と返す三成さん。豊臣家の中で盤石の地位を築くなら、官兵衛さんはいない方がいいですもんねえ。戦が終わって平和な世になったらポジションがなくなるような、そんな状態にしておきたいのでしょうね。
お伽衆
そこに現れたのは奥さんのおねさん。三成さんは察してその場から下がります。こういうところの気配りがすごいのも、三成さんの特徴。
「おまえさま、三成をかわいがるのもほどほどになさいませ。清正や正則の妬みが強くなるばかりでございます」。
どうやら三成さんをよしと思っている側近が少ないようで。
改めておねさん、
「茶々どののことでございます。何故あれほど執心なさいます」
ほかの側室も、おねさんすらも、秀吉さんの熱の上げように嫉妬しているようですね。
「はっはっはっは。おね!お主にもまだ悋気が残っておったか!」
茶々(のちの淀君)は1569年生まれと言われていますからおよそ16歳。秀吉は16歳の女子に熱を入れ、アラフォーの奥さんにやきもちを焼かれている、という構図です
「関白にまで上り詰めたこのわしには、もはやこの手に入らぬものなどない。じゃが、茶々だけは、茶々だけはこのわしに見向きもせん。
そこがたまらんのじゃ。逃げれば逃げるほど、追いかけたくなるというものじゃ」
「お前さま、鼻の下を伸ばしている場合ですか。大事なことを忘れておりませぬか。大事なことは、跡継ぎを作ることではありませぬか?」
「わかっておる」
「一人のおなごばかりに執心してはなりませぬ。はぁ・・・私が産んでいれば、こんな苦労はなかったのに・・・」
ここだけは秀吉さんも気を使っていて
「おね、それは言うな。たとえ子はなくとも、お主が天下一の女房であることには変わりない!」
舞を鑑賞する秀吉さんらですが、茶々さんはあくびもしつつでつまらないご様子。先に席をはずして去ってしまいます。
まあ、つまらないというよりは、秀吉さんの思う通りにはならないよ、というポーズなのでしょうね。
自室に戻ろうとしたところにすれ違ったのは、お伽衆の道薫さん。
茶々さんは元の名を知っているようで
「荒木村重。」
「その名はとうに捨てておりまする」
と去ってしまいます。その後ろ姿をすンごい目力で見る茶々さんですが・・・。
まったく、頑固なおなごよ・・・
と口説けずに困ってる秀吉さんが話している相手はその道薫さんでした。
珍しく茶々さんが興味を示したものが、ほかならぬ道薫さんらしく。
「有岡城の話を聞きたいと仰せにございます」
とフォローするのは、もはや当たり前のようにそばにいる三成さん。
「思い出したくないことであろうの。どうじゃ、話してやってくれんか?」
「某はお伽衆でございます。殿下のご所望とあれば、何なりと」
「そうか、頼んだぞ、道薫」
秀吉さん、不敵に笑います。こうなると女性に狂ったおっさんみたい。
話し相手という役割もあったお伽衆。道薫さんが断れるはずはありませんよね。
キリシタン
南蛮寺に足を運んだ官兵衛さん。「官兵衛どの?」と驚いたのはお寺にいた高山右近さん。
歌われている讃美歌は、官兵衛さんが有岡城で幽閉されていた際に荒木村重さんの奥さん・だしさんが南蛮寺で歌っていたものらしく、目をつぶって官兵衛さん、回想します。
「だし様は常に、荒木村重様や周りの方の心安らかならんことを祈り続けておられました」
「もう6年になりますか」
「はい」
と、だしさんのことを二人で思い返します。
さしさんの回想を出してくれるあたりはちょっとしたファンサービスでしたねえ。
有岡城落城の際に、次女の人が村重さんとだしさんのお子を連れて逃げ出していました。もし生きておられれば8つ。
その子はどうしたんだろう・・・と語りたそうな二人です。
又兵衛
黒田家は九州の状況調査のために密偵を放っている模様です。
そんな打ち合わせをしながら歩いていると、井戸の水を汲んでいる下働きの男がおり、官兵衛さんが「見ぬ顔だな」。
女房・子供を済小屋に住まわせている新吉さんとおっしゃるようで。
「どこかで見たような・・・」
というのは九郎右衛門さん。
済小屋にて。
新吉さんが帰宅すると、小学生低学年くらいの子供が、炭を使って絵を画を書いています。「又兵衛」というその子、なかなか画が上手。
官兵衛さんのお部屋で星座しているのは道薫さん。
「有岡城のことを!?」
「茶々様のご所望で・・・」
「あれ以来、某の時は止まったまま。官兵衛殿、(茶々さんに話す姿を)そなたに見届けていただきたい」
お話するときに一緒に来てね!というお願いでした。
そこに現れた九郎右衛門さん。なぜ来客がいる状況なのに邪魔するかと言えば・・・。
なんと、さっきの新吉さん。「荒木村重」の家臣だった人らしいじゃありませんか!
そして炭を使って絵を描いている「又兵衛」こそが、荒木村重さん=道薫さんの実の子供だというのです。
なんたる偶然!と思いきや、新吉さんがひそかにこの機を伺っていたそうで。
「殿、鉄砲組・谷崎新吉でございます!」
と武士らしくあぐらであいさつをする新吉さん。その表情は下働きの男ではありません。
奥さんと思わしき女性は、だしさんの侍女だったらしく。
又兵衛君、だしさんが持っていたキリシタンのお守りを形見として持っていて、実の息子であることは間違いのない様子。
「父上・・・」
という又兵衛君ですが、
「某に子などおらぬ」
と動揺しつつも道薫さんはその場を去ります。
でも自分の屋敷に戻った道薫さん、子供が無事に生きていたことがほんの少し嬉しそうで。
そうですか、無事生きておいででしたかっ!
と南蛮寺で喜んでいるのは、かつては村重さんの旗下にいたこともある右近さん。
しかし認めようとはせんのだよ、と複雑な官兵衛さん。
だしさんの思い出話が再びされる中で、官兵衛さんはだしさんに気遣われていたことを思い出すと
「苦しいときこそ隣人を大切にするのでございます。デウスの教えにございます」
とキリスト教のツボを右近さんは確信の表情で語ります。
無礼
大阪城内。
道薫さんは茶々さんに謀反~有岡反旗のところを語ります。織田信長批判も、もちろん入っています。
聞いているのは秀吉さん・茶々さんのほかにも千利休さんや側近たちもいます。みんな、信長さんに世話になったことがある人たちばかり。心中複雑でしょうね。
「官兵衛様の足の悪いのも某のせいにございます」
と道薫さんは語ります。
「恨んでおるか?」
と官兵衛さんに聞く茶々さんに、道薫さんの顔をじっとみながら
「いえ・・・」
と言う官兵衛さん。でもその表情は複雑です。
「しかし、高山右近が裏切ったことでわが謀に狂いが生じたのでございます。」
右近さんのことは呼び捨てなんですね。当時の上下関係からか、恨みからかはわかりませんが。
豊臣家でそこそこのポジションの武将ですから、お伽衆が呼び捨てるわけないと思うんですよね。これは個人的な恨みが強いと見たいかな。
右近さんも何とも言えない表情です。そもそも重かった空気が、さらに重くなりました。
「殿下、もうこの辺で。これ以上続けても意味がありませぬ」
と助け舟を出したのは千利休さん。
秀吉さんも「そうじゃな、もう良い」と言いますが、「妻や家臣を捨て、何故一人で生きながらえているのか、それを聞きとうございます!」と茶々さんは道薫さんに命じます。
「死にたくとも死ねないのでございます。それならば、生き恥をさらして生きていくほかないと思いました。私は乱世が産んだ化け物なのでございます。
「茶々様 某もあなた様に伺いとうございます。
父母を殺されながら、何故仇のもとで生きられておられるのでしょうか。あなた様も私と同じ化け物でございます!」
道薫さん、カウンターパンチが強烈。
「天下惣無事 など絵空事にございます。誰が天下を取ろうと、この乱世が終わることなどありませぬ。」
ついに秀吉さん、ぶち切れて刀を抜きますが
「どうぞ、このような首で良ければお打ちくだされ!」
と黙って首を差し出す道薫さんでした。
秀吉さん、道薫さんに届く位置で刀を振り上げますが、大きな笑い声が一つ。官兵衛さんのものでした。
「望みがかないましたな、道薫どの・・・。この男は死にたいのでございます。けれど自分で死ぬことはできないのです。それゆえの悪口雑言」
秀吉さんを怒らせれば、切られて死ぬことができますもんね
「殺してはなりませぬ!」
と叫んだのは茶々さん。
「生き恥を晒し生き続けることこそ、この男が受けねばならぬ報い。」
「・・・・こやつを、どこぞに閉じ込めておけっ・・・」秀吉さん、怒りが収まらないまま部屋を去ってしまいます。
救済
なぜ道薫を救ったのか、と南蛮寺で右近さんに聞かれた官兵衛さん。
「ここで死なせてはならぬ、そう思っただけのこと」
「あなたは、あの方(道薫)の魂を救おうとなさったのです」
そもそもなんで官兵衛さんが南蛮寺に来るのかと思った右近さん
「あなたの心は、何を求めているのですか・・・。門は、いつでも開いております」。
キリスト教に入信してもいんですよ。そう右近さんは言ってるんですね。
屋敷を歩く官兵衛さん、画を描く又兵衛を見つけます。画を見せてもらった官兵衛さん、
「おお、うまいものだ・・・」とびっくり。いや、これが子供ながらに上手いというレベルではないんですね。
小動物など書かれた画の中に、一枚気になるものを見つけた官兵衛さん。
道薫さんを呼び出し、二人でご対面。
道薫さん、所払いで、大阪に近づいてはならない、というものでした。
「死ぬことが許されませなんだ」
聞いてか聞かずか官兵衛さん、
「大阪を出る前に会っていただきたい者がございまする」
と、紹介したのは先ほどの又兵衛さん。
画力の持ち主と絵師になりたい夢を伝えた又兵衛さん、
「父上にお渡ししたいものがございます」
と私た一枚の紙。そこには顔に手を当てる道薫さんの姿絵が。
ぽろぽろと涙を落とす道薫さん、ここで息子を息子と認めました。ぎゅっと抱きしめ、6年ぶりの子供の背中に、だしさんを感じます。
「だし・・・すまなかった・・・」
有岡城から逃亡以来、初めてだしさんに謝ることができた道薫さん、ようやく救われましたね。
大阪退去の日。
「堺で茶の湯三昧で過ごすがよい」
と利休さんにいわれた道薫さん。
「官兵衛殿・・・いや、官兵衛。わしはもう一度生きて見せる!」
そして
「又兵衛、画が好きなら、その道を究めるが良い」と絵筆を一本プレゼント。
束の間の再会、そして永遠の別れの親子でした。
荒木村重、天正14年に堺で死去。
又兵衛は「岩佐又兵衛」として後世に名を残す絵師となりました。
安土・桃山時代は芸術が結構開花した時期でもあったようです。
長谷川等伯
海北友松
狩野永徳
出雲阿国
などなど、画や踊りで後世まで名を残す人が多数輩出されています。岩佐又兵衛はここまではいかなかかったものの江戸時代には徳川将軍家との付き合いもあったり、「なかなかのもの」だったようですよ。
洗礼
「右近殿、門は開いておいででしょうか」
という官兵衛さん。決断はキリスト教の入信でした。
一通りの洗礼を受けたあとシメオンという、という洗礼名を頂きました。
その報告を聞いた奥さんの光さん、有岡城で讃美歌を聞き、高山右近殿に導かれてのことであればよいでしょう。と度量の広いところを見せます。
無欲
大阪城に来たのは小早川隆景さんと安国寺恵瓊さん。四国攻めの恩賞を二人とももらっているのですね。
金ぴかの茶室を二人に見せびらかす秀吉さん
「黄金の茶室は組み立て式になっております」と自慢する三成さん・秀吉さんに、小早川隆景も「威光は亡き信長様をはるかにしのいでおられます」とよいしょを忘れません。
そして従う気がない島津の報告も聞き、官兵衛さんは
「地ならしをいたしまする」
と秀吉さんに言上。
「官兵衛、お主には苦労ばかりかけるの・・・。」
労っているような言葉ですが、表情はこわばってる秀吉さん。
「何を仰せでございますか。某は勤めをはたしているまで」
淡々と話す官兵衛さん。
「殿下は黒田さまのことを案じておられるのです」
口をはさむのは三成さんの役目です。
ついで秀吉さんが
「四国平定の折には恩賞も与えず、不満があるのではないか」
官兵衛さんは全然そんなことないですよ、と言わんばかりに
「滅相もない、某のほうからご辞退申し上げたはず」
と否定しますが、三成さんはさらに言葉を重ねます
「九州攻めが終わった際には、黒田さまに大きな領地をもごもご」
と三成さんが言い終わらないうちに
「ありがたき幸せ。されど、某は領地がほしくて働いているわけではございませぬ」。
「官兵衛、おぬしは何のために働いておるのじゃ」
と聞く秀吉さんには
「殿下の元、天下が鎮まることを望んでありまする」
ひでよしさん、醒めた、すこし恐ろしそうな表情で
「無欲な男ほど・・・怖い者はないのぅ・・・」
どうにもこうにも、秀吉さんとの関係に不穏なものが流れてしまっている秀吉さんと官兵衛さんですね。毛利攻めのところまではあんなに蜜月だったのに、天下が見えてきてからは・・・。
すこし暗雲垂れこめているところで今週は終了です。
喧嘩停止などのほか、そこそこ悪名ある「刀狩」なんかもこのタイミングから行われました。
乱世を力で終わらせた豊臣秀吉でしたが平和な世の中を作ることはできませんでした。
その「平和を作れなかった」、いわゆる終わりの始まりのきっかけは、この惣無事令の小さな何かからだったのかもしれませんね。
もっとも歴史的にはこのあと島津・徳川・北条・伊達などを吸収してまわるのですけれどね。