黒田官兵衛

【 #軍師官兵衛 】第34話。 亡くなる柱

2014/08/31

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豊臣秀吉が本州の西側と四国を平定したころ、九州は北側(福岡・大分のあたり)の大友氏を南(というか鹿児島)の島津氏が攻め立てていたのですね。

大友家の当主・大友宗麟は豊臣秀吉にヘルプを依頼しました。秀吉さんは官兵衛さんを当面のヘルプとして指名しました。キリシタン同士の大友宗麟と黒田官兵衛、胸の十字架で結ばれている感の画づくりでしたね。

というところでオープニング。

蜂須賀小六

大友宗麟さんの手助けをしつつ島津をやっつけてしまえば、日本の西側の平定が終わります。

黒田軍に合わせて四国を管理している蜂須賀小六さんが宗麟さんを助けることで手はずが整いました。

というタイミングで秀吉さんと官兵衛さんともに強い絆で結ばれている蜂須賀小六さんが倒れてしまいました。

宗麟さんが助けを求めていた時には元気だったのに・・・急転直下ですね。

官兵衛さんの奥さん・光さんや、娘の糸さんと結婚している官兵衛さんの長男・長政さんと語りますが、その語り口調はもはや遺言のような雰囲気。寂しいトークです。
官兵衛さんとは高松城の水攻めや中国大返しの昔語りを。

さよなら、小六さん・・・。

そういえば小六さんのせがれで徳島藩の初代藩祖となる蜂須賀家政さん、全然出てきませんね。なかなか頑張っている戦国武将なんですけれどねえ

秀吉さんも小六さんの元へ駆けつけますが死に目にはあえず。顔をぺしぺし叩きつつ、泣きわめいて悲しみます。

家康懐柔

秀吉さんが織田家の下っ端だったころから秀吉さんを支えてきた小六さんの死で、「古株」の重臣は秀吉さんの弟の小一郎秀長さん。あとは官兵衛さんももう古株な方になっているという状況です。がらっと世代交代されているんですよね、秀吉さんの配下は。

「小六に四国勢を取り仕切ってもらうつもりだった」

という秀吉さんですが

「焦りは禁物です。殿下のご出陣は徳川家康が上洛してからがよろしいかと」

と官兵衛さんは「らしい」アドバイス。

「(徳川家の)家老の石川数正が我らに寝返って以来、戦どころではないはずです」

という石田三成さんですが

「どうかな。裏切りによって家中が乱れるか、かえって結束が強まるか。それは主君の器次第」

と官兵衛さんは油断しません。

秀吉さん、

「官兵衛、おぬしは、家康の器量をどう見る?」

「殿下を長久手の戦で破った男でございます。徳川家の結束は、むしろ強まったとみるべきでしょう」。

「ならばどうすれば・・・?徳川と戦うなとおっしゃったのは黒田さまでございまする」と三成さん。

「戦わずに上洛させるしかあるまい。殿下の度量の大きさを示し、この男には逆らえないと得心させるしかありませぬ」

秀吉さん、なにか思いつきました。

「官兵衛、家康には正室がいなかったの」という秀吉さんに黙ってうなずく官兵衛さん。作戦は決まりました。


徳川家にて・・・。

豊臣秀吉の妹・朝日姫が嫁として送られてきた、ということらしく・・・

ちなみにこの朝日姫は旭姫などとも言われています。旦那さんがいましたが、この結婚のためにむりやり離婚させられて嫁がされたようですね。典型的な政略結婚です。

「関白の実の妹とあっては断れまい」

と苦笑いする家康さん。

「上洛なさるのですか?」と家臣が聞きますが「くれるというならもらっておく、それだけじゃ」と、歯牙にもかけません。

関白の妹を嫁にしたら義理の弟になるということですね。それを放っておくのですから、この徳川家康という方、さすが天下を治める器量の持ち主です。


この政略結婚は黒田家でも話題に。長政さん・太兵衛さん・後藤又兵衛さんの「チーム若」が語らっています。

「殿下が本気になれば家康とて敵ではあるまい」

という長政さんですが、大局をみている又兵衛さん

「戦わずして勝ちを得るのが殿の策でございます」

「そのようなことはわかっておる・・・」

と悩む長政さんですが、そこに官兵衛さん登場。

「殿下の妹君を受け入れたということは、徳川に戦意はないということ。」

と解説します。

毛利の動向

一緒に入ってきた栗山善助さんが「九州攻めの出陣は7月25日になりました」と報告。

ここまで語られてきていなかったのですが、九州攻めには実は豊臣と与することになった毛利勢も加わる、という話なのですね。戦力的にいえば黒田だけでは心もとなく、毛利数万の大軍が無ければ島津とは戦になりません。

そして、その毛利の強さが説得力を持つには、当主の毛利輝元・叔父の吉川元春・もう一人の叔父の小早川隆景。この3人が揃わないといけないのです。誰がいなくても毛利は大きな戦力ダウンになってしまうのです。

「毛利の準備は大丈夫」

と報告する井上九郎右衛門さんですが・・・。


出立の官兵衛さんは、奥さんの光さんに家のことを任せます。今は大阪にいる光さんですが、領国に帰って仕切るそうです。

衣装も整った官兵衛さんに「殿、これを」と十字架をかけてあげる光さん。官兵衛さんは勝手にキリシタンになって済まぬ、と謝ります。気にせず

私にも教えてくださいね

とやさしい光さん。良くできた女房です。

官兵衛さんは九州出張。
長男の長政さんが大阪に残って秀吉さんとのパイプ役。
奥さんの光さんが領国の管理を取り仕切る

という構成のようですね。

毛利の一枚岩・・・?

部隊は安芸の毛利家です。小早川隆景さんが、お兄さんの吉川元春さんに話しかけます。

「兄上、関白殿下が九州への出陣を求められました。関白殿下は兄上の出陣も求められております。

「殿下?お前はどこの家の者じゃ」

吉川元春さんはいろいろお気に召さないご様子。

「兄上は豊臣から疑われております。高松城(の水攻め終了後、中国大返し)の時に追っ手を差し向けようとしたこと、賤ヶ岳(の戦い。秀吉と柴田勝家の戦争で、信長亡き後の織田家の権力争い)で柴田と結ぼうとしたこと・・・。逆心無きところを見せねばなりませぬ」

諭すように聞かせる小早川隆景さんですが、元春さん、やっぱり聞きません。

「気に入らんのなら、わしにも切腹を命じればよい」

わしに「も」ってのが気になるところですね。じゃあほかに誰がいたのでしょうか?

ドラマ内で扱っていたかどうかわかりませんが、豊臣秀吉は賤ヶ岳の合戦後、織田信長の三男・信孝に切腹を命じています。

事の次第がどうあれ、豊臣秀吉は織田家の天下を引き継ぐさなかに、旧主の三男を切腹させてるんですよね。これをどう見るかは皆様にお任せしますよ。

隆景さんは「もー、そんな子供みたいにわがまま言うなよ・・・」という顔で見てます。

「毛利が秀吉の家臣となって働くのは、生き残るためにはやむを得ないのかもしれぬ。しかし、このわしまでもが秀吉に膝を屈しやつの元で働いては、死んでいったものに申し訳が立たぬ。」

実はすでに隠居している吉川元春さん、好きな物語でも読んで、ここで死ぬよ、と隆景さんに言います。

豊臣軍が四国を平定した時も毛利軍の協力はあったのですが、吉川元春は参戦していないのですよね。それが九州については秀吉が強く要請をした、ということらしいですね。

ちなみにこの時の吉川家の当主は「元長」さんといいます。

今週のファミリー劇場

播磨に帰る光さんと糸さん、大阪城のおねさんの元にご挨拶に伺います。
城内で美しい着物を見つけた糸さんを見つけた茶々さん。「ほしければ持っていきなさい」と。茶々さんも糸さんを、大阪城内の侍女だと思っていたようで。

光さんが上手くとりなしたりして大事にもならず、笑い話で済んだご様子で。

「どこか憎めませんね」

と光さんは茶々さんを評してますね。

ひとしきり、黒田の「ケチ」「倹約」ネタでガールズトークをかましてご挨拶終了。

まあ大河ドラマにもこのような「なごみ」のシーンも必要なのかもしれませんねえ。

元春はまだか

さて、黒田軍は毛利の本陣・安芸に到着しました。
出迎えてくれたのは安国寺恵瓊さん。島津対策の評定をさっそく始めます。

「一刻も早く大友を助けなければなりません。毛利軍には4,5日のうちにも出陣していただきたい」

と、豊臣家の代表として官兵衛さんは毛利軍(隆景さん、恵瓊さん)に依頼します。

でも、毛利の返事はなんかキレが悪い・・・。

まあ、吉川元春さんが渋っているのは身内の恥でもありますもんね。

「吉川元春、小早川隆景。毛利両川(もうりりょうせん)そろっての出陣を、殿下はお望みです」

官兵衛さん、強く依頼します。

毛利家は、家を大きくした毛利元就に3人の子供がいました。長男・隆元、次男・元春、三男・隆景

隆元が毛利家を継ぎました。早世したのですが、その長男・輝元が毛利家をそのまま継いでいます。

次男・毛利元春は養子縁組で吉川家へ。三男・毛利隆景も養子縁組で小早川家へ。

吉川・小早川、ともに「」の字がつきますよね。

文武に優秀だったこの二人を評して、毛利を支える二人の「川」ということで「毛利両川(もうりりょうせん)」と呼んだのですな

ずいと進み出た官兵衛さん。時間がないから吉川元春を説き伏せてください!と依頼します。


馬を走らせる井上九郎右衛門さん。渋る吉川元春さんを見に行きました。屋敷に引きこもって外にすら出ないそうで。

まあ、元春さんがひきこもるのも無理はなくって。

大友家と毛利家がそもそも隣国(海ははさんでいたけれど)で、仲が良かったわけではありませんからね。ともに豊臣の下に付く立場になって、いつの間にか同じサイドに立ってしまった、もともとは敵同士なわけです。昨日まで喧嘩していた相手といきなり仲良くなれったって、そりゃ大変というものです。

そのせいか兵の士気が低い毛利。島津の侵攻を不安視する官兵衛さんと、じっと豊臣軍の到着を待つ大友さん。

大友さんの家臣は、やっぱり過去の大友・毛利の遺恨を根拠に不安視しますが、当主の宗麟さんは「きっと官兵衛殿がなんとかしてくれる」と神に手を合わせます。


初登場の島津軍。なんか濃ゆい顔が並んでいますな。

ここまでの島津は連戦連勝で、大友も残るは府内城(大分城)だけじゃ、といったところ。九州平定を目前に意気上がっています。


黒田軍は兵を下関まで進めました。いつでも出られるようにしつつ、毛利の到着を待つという算段ですね。

話題はやっぱり「吉川元春どのは何故出陣せぬ」の件。

「かくなる上は、我ら黒田勢と小早川勢で九州へ渡るほかありませぬ」と太兵衛さんが提案しますが、手勢は足りません。吉川軍が動くのは勝利への必要条件なんですね。

そこへ報告に来た井上九郎右衛門さん。

「吉川様は病にございます」。

この時代の武将は、人に会わない言い訳でよく仮病を使っていたみたいです。軍師官兵衛でも序盤にインパクトを残した宇喜多直家さんがよく仮病を使っていましたね。

でもこの時の吉川さんは本当に病気だったみたいです。

そもそも体調的に出陣が無理、ということになってしまいそう・・・。官兵衛さん、一計を案じます。

説得

安国寺恵瓊さんが、吉川元春さんを連れてとある広間にやってきました。

元春さん、弟の小早川隆景さんが来ているから、と呼び出されましたが、そこにやってきた人は・・・あれれ、杖を突いてますよ。官兵衛さんだ。

意外なことに初対面の元春さんと官兵衛さん。

「用向きはわかっている。わしは行かん」

「吉川様おひとりで済むとお思いか・・・。毛利本家とて、無傷とは参りません」

「お主の口車には乗らぬ。お主のような卑怯な男は信用できぬ。話は終わりだ。」

立ち去ろうとする元春さんに官兵衛さんは語りかけます。

「吉川様。病と聞きました」

「そうじゃ。わしはもう長くはない。それゆえに出陣はできん。それでよかろう」

「まことにそれでよろしいのか。命には使い道がございます。ここぞというときに、使わねばなりませぬ。清水宗治どのは己の命の使い道をご存じだった。あのお方は己の命と引き換えに、幾万の将兵の命をお救いになった!

 天下のために! 命をお使いいただきたい!」

これまでらちもない態度の元春さんですが、何か熱が伝わったようです。

「今が、このワシの命の使いどころだと申すか!」

「吉川様のそのお命、この官兵衛にくだされ!」

ふはははと笑った吉川さん

「この元春に面と向かって死ねと申すか。面の皮の熱い男よ!」

官兵衛さん、ぐっと覗き込むように見つめながら

「ありがたき幸せ」

と口調を抑えて語ります。

そこから去ろうとした元春さん、足元おぼつかずに倒れてしまいますが、起き上がりながら「わしは、自分の命の使い方は自分で決める!」とだけ伝えて去ります。

はたして官兵衛さんの成算やいかに・・・。

家康懐柔 2

大阪城・秀吉の金ぴか茶室でお茶を頂いている長政さん。「毛利勢をまとめるのに苦労なさっているようで九州にわたっておりませぬ」と報告する三成さんと、上洛を期待する家康さんが動かないことにイライラしている秀吉さんの話を聞いています。

こういうトップシークレットが聞けちゃうのって、すごいことなんですよね。こういう話も父上に報告しないとね、長政さん。

秀吉さん、家康さんの上洛を実現させるためにすごい案を考えてしましました。

なんと、秀吉さんの実母・大政所を家康さんへ人質に出しました・・・!

「おね、わしだって辛いんじゃ。誰が好き好んで母を人質にだすか・・・」

涙にくれる秀吉さんでした。

元春参戦

九州出陣の予定日。約束の時間に遅れて登場した小早川隆景さん

「官兵衛、おぬし、どのような手を使ったのじゃ・・・?」

そこには病を押して鎧に身を包んだ吉川元春さんが。

「そうやすやすとは死ねないようじゃ」

とやる気を見せました。

吉川さん、語ります。

「官兵衛、この命、おぬしにくれてやる!」

官兵衛さんはじめ黒田の重臣は膝をつき、官兵衛さんは

「無駄にはいたしませぬ・・・」。ついに、九州に進出です。

士気の上がった毛利・豊臣連合軍は押しに押しています。官兵衛さんは油断せず、

「島津お得意の、釣り野伏せりに気を付けなければなりませぬ。伏兵にお気を付けを」

と進言、そこは戦上手の吉川元春さん、わかっておる!と手当済みでした。

あと少しで大友を滅ぼして九州統一というところまで行った島津さん、無念の撤退です。

島津得意の「釣り野伏せり」ですが、一見負けて逃げかえると思われる囮の兵の左右に攻撃兵を隠しておき、一気に3方向から逆襲するというもの。島津がこれを得意だということを知っていたのなら、黒田官兵衛は情報力もしっかりしていたのですね

黒田陣に御礼に参上した大友宗麟さん。大感謝でした。

「面をお上げくだされ。島津はこれで引き下がったわけではございませぬ。戦はこれからでござます」。

油断しませんね。

家康、上洛

三河の徳川家。秀吉さんが実の母親を人質に送ってきたことに、さすがにびっくりします。

さすがにこれでは、臣従の姿を見せてやらないわけにはいかなくなりましたかね。

気持ちで勝ちつつ、臣従の形を採った家康さん。ついに大阪城に参上しました。

「殿下に忠誠を誓いまする。何なりとお申し付けくださりませ」

秀吉さん、目の上のたん瘤がついになくなりましたね。

家康さんの案内役を仰せつかったのは長政さん。ご挨拶すると家康さん

「黒田・・・?もしや」

「はい。黒田官兵衛の息子でございます」

「軍師・黒田官兵衛の噂は聞いておる。ぜひ会いたいものじゃ」と肩に手を置き、長政さんに語り掛けます。

長政さん、秀吉さんですら思いのままにならなかった器の男に親しげに声をかけられ、感動の面持ち。のちにこれが、関ヶ原の戦いで家康さんに味方するきっかけの一つになったのかもしれませんねえ。

吉川元春、逝く

戦争先の豊後で死の床にある吉川元春さん。

「隆景、わしのわがままでお前には迷惑をかけた」

「何を申される。毛利の今日があるのは兄上あってのこと。これまでよくお働きになられた・・・」。

官兵衛さんがそこにやってきます

「黒田官兵衛、来たか」

「はっ」

「わしの命、役に立ったか?」

「はい。おおいに・・・」とても優しく、元春さんにそっと手を添えて語り掛けました。

「隆景、毛利を頼んだぞ」

そう言い残し、毛利を支えた吉川元春、お亡くなりになりました。

自陣に戻った官兵衛さん、吉川様の死を無駄にしてはならぬ!という善助さんの「締め」で今週はきれいに締まりましたね。

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