「如水円清」と名を改めた黒田官兵衛さんは太閤・豊臣秀吉さんの甥である関白・豊臣秀次さんの相談役になりますが、その秀次さんは石田三成さんらの策略からか謀反の疑いを向けられます。
その背景には、嫡子・拾(ひろい。後の豊臣秀頼)の憂いになりそうな人・物・事を、すべて取り除きたいという思いがありました。
というところでオープニング。
~ 目次 ~
諌める
戦支度をしている秀次さんの元を訪れた如水さん。
「これは何のおつもりですか?」と秀次さんに聞きます。
「万一のための備えじゃ。三成が何を仕掛けてくるやもしれんのでな」
「おやめください!これでは、自ら逆心ありと言っているようなもの」
「・・・助けに来てくれたのではないのか・・・」
秀次さん、登場した官兵衛さんには戦の軍師としての役割を期待していたようですが、当てが外れました。
「叔父上は、わしの申し立てをお聞きくださるか・・・。いや、聞くまい。お主もわかっておろう!」
悲痛な叫びの秀次さんですが
「ほかに道はございませぬ!」
と、これまでの三成さんのやり方をよく知っている官兵衛さんは説得します。
かつて千利休さんは己を貫いて切腹し、
そして自分は、自分の主張は通したものの、死にたくないということは秀吉さんにお願いしましたからね。そのせいで豊臣家内部の争いは三成さんが官兵衛さんに勝った、というような流れになっているのです。
「太閤殿下と秀次公は、叔父・甥の御仲。ここで争っては天下は乱世に後戻り。天下のために、伏見へ行かれませ。それが、天下を治める関白殿下のお役目にございます」
「天下のため・・・。関白の役目と申すか!・・・相分かった。太閤殿下の元に参る」
黙って頭を下げた官兵衛さん。秀吉さん(三成さん)相手に我慢することの苦しさ・辛さを知っているからこその諫言でしたし、それを聞き入れた秀次さんの理解に頭が下がったのでしょうね。
拾さんが遊ぶほのぼのとしたところで秀吉さんが
「秀次の官位官職は召し上げ、高野山にて蟄居するように申し付けよ。それ以上の咎めは不要であろう」
と石田三成さんに指示を出します。
それに大そう不服壮な顔をして見せるのは淀の方。
「なんじゃ、茶々(淀の方)。不服か。」
「殿下のお決めになること。ただ、拾の先行きをお考えください。」
淀の方は暗に、より重い処罰を求めているようです。事前に聞かされていて暗鬱な表情をちらりと見せる三成さん。この流れでいうと、一番腹黒いのが淀の方で、三成さんはそこに協力しつつ豊臣家内での地位を固めようとしているという様子が見て取れます。
その淀の方の一言であっという間に表情が変わる秀吉さん。簡単に心をコントロールされてしまっていますね。
呼吸が荒く、せき込んでしまう秀吉さん。痰も絡んでいるようで、体調が優れないようです。7日後、秀吉さんは秀次さんに切腹の命令を出してしまいました。千利休さんに続いて、ふたたび、大切な「味方」を死なせてしまうことになったのですね。
高野山・青厳寺で将棋を指す秀次さん。「(切腹の)用意万端、整いましてござる」という使者の言葉を聞き
「無念じゃ・・・っ!」
の一言を絞りだして切腹へ・・・。秀次さんの一族まで39人がことごとく成敗、6歳・2歳の子供たちまでです。ひどい仕打ちとなってしまいましたね。
三条河原が血に染まった。
三成さんが淀の方と組んでのことだ。
などなどが如水さんに報告されました。
黒田家では、そんな讒言に耳を貸した秀吉さんへの落胆が語られています。官兵衛さんは
「もうよい・・・。わしが止められなかったのじゃ。」
と、かつて竹中半兵衛さんから形見に頂いた軍配を見つめながらつぶやきました。
大阪城内?ですれ違う秀吉さんの正妻・北政所さんと淀の方。
淀の方が
「秀次さまのこと、お気の毒でございました」
と形ばかりのお悔やみを言います。おいあんた黒幕だろ!ということは北政所さんもわかっていて、
「まことに、そうお思いか?」
と言って去ります。後ろ姿を見ながら淀の方はニヤリ。
黒いな。
蘇る
寝所にて、秀吉さんがわなわなしています。
「殿下、いかがいたしました?」と聞く淀の方に
「小便を、小便を漏らしてしまった・・・」と動揺している秀吉さん。
秀吉さんの年齢的な衰えを感じさせる1シーンです。
日は改まり、秀次さんに近かった人間がどんどん処罰されているようで、その一連で如水さんも秀吉さん(・三成さん)に呼び出しを受けます。そりゃ、相談役だったのですからね。
まず三成さんが入り、次いで秀吉さんが出て来ます。とっても疲れた様子で・・・。
「秀次は、気の毒なことをした。じゃが、拾に禍(わざわい)を為すものは、すべて切り捨てる!」
・・・いやいや、何もまだ禍を為してないでしょ。淀の方と三成さんの「予見」を信じただけでしょ。という突っ込みは、如水さんはもちろんしません。
せき込みつつも秀吉さんは続けます。
「官兵衛。わしは、不安でたまらんのじゃ。拾の行く末を思うと、己を抑えられんのじゃ・・・。わしは、老いた。」
といって立ち上がり、如水さんのもとへ歩み寄ります。
「官兵衛。今一度、このわしに仕える気はないか? 三成は『官兵衛は秀次側ゆえ、罰せよ』と申した。わしは、このわしに今一度仕えてくれるのなら、官兵衛を許す。
頼りにしていた者たちはみんな死んでしもうた。わしは、お主に、わしのそばにいてほしいんじゃ・・・・。頼む・・・頼む、官兵衛・・・・」
「もったいなきお言葉。お役に立てれば、この上なき幸せにございます。」
秀吉さん元気がでます。
「そういうと思っておったぞ。お主には長政(如水さんの嫡子)とは別に禄を与える」
そこで三成さんが書面を読み上げます。
「黒田如水円清 播磨の国のうち、1970石を与える」
「播磨・・・」如水さんが呟きます。播磨の国は黒田家ゆかりの土地ですからね。
「ありがたき幸せ・・・」
秀吉さんは良かった、良かったと喜びます。いやいや、老いましたなあ、秀吉さん。
官兵衛さん、豊臣政権の武将としてふたたび蘇りました。が、心中複雑です。
大阪城の政務室的なところでは、増田長盛さんが石田三成さんと話しています。
「如水どのが2000石足らずで、また(秀吉さんに)仕えることになったらしいなあ。太閤殿下も恐れぬ男と言われていたが、今では牙を抜かれ、おとなしいものじゃ」
同じ奉行集の長束正家さんも
「お主と張り合っていたのも、今では遠い昔よのう」
三成さん、政争的には買っているのですが、素直に喜べていないようです。
突き落としても突き落としてもまた浮かんでくる如水さんを恐ろしく思っているのかもしれませんね。不気味さもありますよね。
そんな噂を知ってか知らずか、再び使えるために大阪城を歩く官兵衛さんでした。
日本号
さて、秀吉さん子飼いの武将(アンチ三成)の福島正則さんは、屋敷で昼間っから酒をかっ喰らっています。武将の中では酒飲みで有名な一人ですね。
そこに登場したのは如水さんのところの重臣・母里太兵衛さん。長政さんからの書状を届けに来たようです。内容は明らかにされませんでしたが
「承知したと長政に伝えてくれ」
と返答。帰ろうとする太兵衛さんに向かい
「近頃、如水どのの悪い評判を耳にする」
帰ろうと立ち上がりかけた太兵衛さんですが、これは座りなおすしかありませんね。
「悪い評判・・・?」
「再び安い禄で殿下に仕えることになったであろう。三成ごときの風下に立たれ、もはや、あの軍師官兵衛とは別人。近頃は以前のように、殿下をお諫めすることも無くなった」
最初から諌めることすらできない武辺者がそんなこと言うなよ、と僕は言ってやりたい。が、テレビなので我慢しました。
太兵衛さんは反論します。
「大殿には大殿の考えがござる」
「どんな考えだ?」
「知り申さぬ。それがしは主を信ずるのみ。大殿の悪口を取り消していただこう」
「まあそう怒るな、太兵衛。聞き流せ」
と言いながらどんぶりに酒をなみなみと注ぐ正則さん。太兵衛さんに突き付け
「ほれ」
と進めます。
太兵衛さん、一息で飲み干します。
「相変わらず強いのう」
と笑う正則さんですが、如水さんをバカにされた太兵衛さんは静かなる怒りが収まっていません。
「ご当家では、これしきで強うござるか? 常在戦場。酒で乱れるは恥でござる!」
と煽ります。先ほどの如水さんに対する言葉を、酒に酔ったからの言葉としても許していないということですね。
切れた正則さん。一升は入ろうかという盃で酒勝負を仕掛けます。
「それがしが勝ちましたら、詫びの印を頂こう」
太兵衛さんが言うと
「おう、何なりと持っていけ!」
正則さんも応戦。
「では、あの槍を頂こう」
それは秀吉さんから下賜された天下無双の槍、日本号でした。
なみなみと注がれた日本酒を一気飲みする太兵衛さん。どうやら圧勝したご様子で・・・。日本語を黒田家へ持ち帰りました。屋敷の庭で槍を振って稽古する太兵衛さん。
如水さん・如水さんの奥さん・光(てる)さん、重臣・井上九郎右衛門さん・栗山善助さんとともに、太兵衛さんの嫡男・吉太夫さんと、如水さんの次男・熊之介さんも槍を振るう太兵衛さんを感心してみています。
熊之介さんが
「太兵衛、わしにも貸してくれぬか」
とおねだりしますが
「いずれ初陣されましたらお貸しいたします。それまで、鍛錬してくだされ」
とやんわり。
如水さんが
「その槍は家宝ゆえ、返してくださらぬかと福島どのが言っておったぞ」
「大殿への悪口の報い、返すわけには参りません」
太兵衛さんは返すつもりが無いようで。
「酒は呑め呑め 呑むならば 日本一(ひのもといち)のこの槍を 呑み取るほどに呑むならば これぞ真の黒田武士」
とあります。この槍、が日本号であり、真の黒田武士、が母里太兵衛なんですね。
現在は福岡市博物館に展示されているそうです。
ここで熊之介さんが
「父上、私も父上の悪口を耳にいたしました。私は悔しゅうございます。何故隠居したにも関わらず、太閤殿下に再びお仕えしたのですか?」
官兵衛さんが初めて胸の内を語ります。
「なにゆえか・・・。もはや、太閤殿下のなさることを誰もお止めすることはできぬ。できるとすれば、天だけじゃ。殿下の天命が迫っておる。」
次いで
「わしは、殿下が変わりゆくのをお止めすることができなかった。せめてお傍にいて、最後までお見届けいたす。それが、殿下を天下人へと押し上げたわしの勤め」
如水さんなりのけじめの撮り方なんですね。
慶長の役
大阪城では、明国からの書状が秀吉に届いていました。「朝鮮出兵」という言葉で語られていますが、秀吉さんは明国に対して戦争を仕掛けており、朝鮮はその始まりだったのですよね。
書状に書かれていることとして
「ここに倭の国の国王として封じ、日本国王として成す」
ここに秀吉さんは怒ります。
「封じて、じゃと?」
読み上げている坊さんが
「そう、記してございます」
というと、
「明に報じられずとも、この秀吉こそ日の本の天下人じゃ。・・・わしが示した、和睦の申し状はどうなった?」
・・・いつぞや、朝鮮で如水さんが焼き捨てたあれですかね?
「何一つ、触れてはおりません」
「おのれ無礼な!この太閤を愚弄しおって! 断じて許さん! かくなる上は、兵をだす!」
諌めるのは黒田の仕事。長政さんが言います
「恐れながら、確かに明は無礼にございます。されど、異国での戦の難しさはご存じのはず」
「黙れ!」
老害な秀吉さんは聞きません。
次いで朝鮮をもろもろ担当している小西行長さんが
「なにとぞ、お考え直しを」
と言いますが
「黙れ行長!お主は、明と何の交渉をしておったのじゃ!」
せき込みながら秀吉さん、激怒。
「なんとしても、なんとしても挑戦を手にするのじゃ。この秀吉、世の笑いものになるではないか!直ちに兵をだせ、直ちに兵を出すんじゃ!」
夢も希望もない秀吉の意地を貫くためだけの戦・慶長の役が決まってしまいました。ふたたび、朝鮮出兵です。
それぞれの覚悟
長政さんの寝所では、奥さんの糸さんと長政さんが悲壮な会話をしております。
「こたびは厳しい戦いとなろう。殿下の面目を立てるためのものゆえ、士気は低い。あるいは、わしとて・・・」
糸さんがすかさず
「ご無事を祈っております。生きて帰ると(約束してください)」
「必ず・・・」
生きて帰らないお身内がいるのですが、それはまた。
別の日の大阪城。出仕した如水さんですが、陽だまりにいた秀吉さんは大変にやつれ疲れています。
「おう、官兵衛、来たか。来い、こっちに来い」
と呼び寄せ、まずは一献。
「朝鮮のことは聞いたの。止めんのか」
「お止めすれば、聞き入れてくださいましょうか?」
「聞かぬ。おそらく、これがワシの最期の戦となるであろう。のちの世の語り草になるような、見事な戦にして見せる。明を滅ぼし、この秀吉こそ日の本一国はもとより、明や朝鮮の王となるのじゃ・・・」
スルーした如水さん
「殿下、お願いがござりまする。それがしに朝鮮行きをお命じください」
秀吉さん、驚いた声で「なんじゃと?」ですって。今戦において一番頼りになる男ですからね、如水さん。
「それがし、今もなお殿下の軍師にござりまする」
「官兵衛、よくぞ申した!お主の策さえあれば、必ず勝てる!お主にすべて任せる。軍師官兵衛!」
あれ、文禄の役(第一次朝鮮出兵)でお主に任せるといったあと処罰したのは誰でしたっけ・・・
そして「茶々・・・茶々に伝えねば」と衰え力発揮の秀吉さん。茶々、茶々、茶々・・・といっていなくなっちゃいました。アカンやつや。
同行していた善助さんが
「大殿・・・」
と声をかけます。真意を問うたのでしょうね。如水さんが答えます。
「傷をできるだけ小さくするしかあるまい。負けぬ戦をする」
これが真意でした。
秀頼誕生
慶長の役を前に、秀吉さんは嫡子の名前を「秀頼」としました。のちに大阪夏の陣で徳川家康さんに滅ぼされた秀頼さん、ここに誕生です。
そのころ徳川家では、家康さんが家臣に
「おぬしら、わしはあと何年生きると思う?」
慣れた家臣は
「(家康さんは)まだまだくたばりそうにありませんな」
と和気藹々な答えですが
「太閤は60じゃ。あの男、もはや長くはもたんぞ。わしの見立てではもってあと2年。ただ、それを分かっているのはわしだけではあるまい」
家康さん、初めて天下への欲を見せてみました。
慶長2年。黒田家では朝鮮出立の時を迎えました。
上座の長政さん
「此度の戦では守りをかため、決して討って出てはいかん」
如水さんもあとから行くということで、それまで頼むぞ、と長政さんに。長政さんはこのころはもう頼れる当主で「おまかせください」と。
熊之介さん、ここでも初陣に行きたいと願い出ますが
「お前までいけば黒田の男子がみな朝鮮にわたることになる。万が一に備え残るのだ。元服はこの戦が終わってからじゃ」
朝鮮で全員死んでしまったら、黒田家が途絶えてしまいますからね。
「焦るな熊之介」
と長政さんも諭します。
「お前は朝鮮を知らん。そちのようなものが初陣を飾るべき戦場ではない」。
それだけ大義ない戦なんですね。
出がけに太兵衛さん、長男の吉太夫さんに「若を助け、留守を頼んだぞ」と言い「はい」と答える吉太夫さんですが・・・。
さらば賢人
黒田軍らが海を渡って行ったころ、備後・三原(広島県・三原)の小早川隆景さんの御屋敷では、当主・隆景さんが病にふせっていました。小早川家には養子の秀秋さん(秀吉さんの親せき)というのがいて、小早川家は秀秋さんに継がれることになるでしょう。
如水さん、かつての好敵手であり今は最大の理解者でもある隆景さんを見舞いに訪れます。
「お加減はいかがですか?」
「いよいよ、潮時じゃな」
「何を申される」
「死ぬ前にお主に会うておきたかった」
お見舞いの挨拶をした後、隆景さんは秀秋さんに言います。
「中納言どの、いや、秀秋。今後は何事も、この如水どのに頼るのだ」
次いで秀秋さんを始め人払いをして、隆景さんは如水さんと二人で会話します。
「殿下は、長くはない。間もなく、この国にもう一度嵐が吹き荒れる。だが、そのころ、わしもこの世にはおるまい・・・」
隆景さんの心配は、やっぱり豊臣政権。というか、せっかく訪れた日本の平和です。
話は昔ばなしに移りました。お互いの友情ができる元となった、かつては敵同士であった織田vs毛利のときのことへ。
「お主とは長い付き合いじゃ。わしは、これまでお主ほど知恵の回る男を見たことがない。
しかし、少々知恵が回りすぎるところがある。良い知恵が浮かんだときこそ、よくよく吟味することを心がけよ。」
「肝に銘じまする」
如水さんも、人に言われて肝に銘ずるのはこれが最後だと思ったかも。
「高松城の水攻め。中国大返し。あの時はとことんおぬしにしてやられた・・・黒田官兵衛、まこと手ごわい相手じゃった」
「そのお言葉、そっくりお返し申し上げる。毛利との戦、まことに難儀いたした。されど、・・・・・・・・。 あのころは・・・・。 あのころは楽しゅうございましたな・・・・・。」
官兵衛さんの目から光るものが流れます。
隆景さんとのお別れでした。如水さん、知恵の面の理解者をも失い、精神的に孤独になってしまいましたね。
朝鮮
黒田家。熊之介さんがいません。探す光さんですが、熊之介さんからの手紙があることが分かり読みます。
なんと、朝鮮に行く船の中に、お守り役の吉太夫さんとともに紛れ込んでいる熊之介さんがいましたよ。
「わしはどうしても朝鮮に行きたい」
熊之介さんと吉太夫さんの回想シーンが。
「私も行きとうございます。」
「無断で行くことになるぞ。ついてくるか?」
「はいっ!」
おいおい、お諫め申し上げろよ・・・といっても若気の至り。仕方ないか・・・。
朝鮮の黒田軍に如水さんが到着します。黒田軍、無駄な攻撃は避けて守りを固めているようで。味方の布陣を確認して、慎重に戦わねば、というところで今週は終了。
ちなみにこのとき熊之介さんはまだ船の中です・・・。
次週、いよいよ巨星(ほか)が墜ちます。
・ドラマでも取り上げている秀頼誕生による邪魔者説
・側室のもつれ説
・「殺生関白」説
・秀次の独断による朝廷への献金が謀反扱いされた説
本当の理由はわかっていないそうですが、いずれにしても現役の関白が蟄居即切腹のうえ、晒し首にあったというのは異常な出来事としか言いようがありません。
秀吉の判断で行ったとすれば、実の甥をそこまでやる理由が分かりませんよね。身内なんですから。そして冷静に考えれば秀吉が老齢、秀頼が幼児であることを考えると、秀次の存在は豊臣家にとって重要な存在だったハズ。
だれかの讒言か、本当に内部崩壊を狙ったか、という可能性しか考えにくいのですが・・・。うむむ。
なお、秀次の処刑にもとづき、秀次が関白時代に過ごしていた聚楽第は破却されました。