九州で西軍(関ヶ原の戦いにおける、石田三成に味方する側)を次々と破る黒田如水軍。
赤合子(あかごうし)と呼ばれる、お椀を伏せたような形の赤い兜がトレードマークの如水さん、それを目にしただけで敵兵は恐れをなしたそうです。
そんな中、決戦の地・関ヶ原ではいよいよ戦いの朝を迎えました。
桃配山という山に本陣を構えるのが東軍総大将・徳川家康さん。岡山という山に陣を構えるのが如水さんの嫡男・黒田長政軍。
霧がかかる中ほら貝の音と鉄砲の音が鳴り響きました。東軍の武将・福島正則さんが西軍の要の武将・宇喜多秀家さんに鉄砲を撃ちかけたのが関ヶ原の戦いの始まりです。
黒田長政さんも檄を飛ばし、いよいよ黒田家の関ヶ原も始まりです。
九州の如水さんは輿の上で悠々。九州の黒田軍は連戦連勝ですからね。
そこに家老の井上九郎右衛門さんから
「肥前(佐賀)の鍋島直茂がお味方したいとのことです」
と報告を受けます。
石田方のはずの鍋島家も味方に付くとなれば、黒田は大優勢です。
これが徳川に付く如水さんの行動かと思いきやさにあらず。
気づいたら九州は黒田のものでした、という状況を狙っているのです。
高笑いする如水さんの笑顔のあと、最後のオープニング。
~ 目次 ~
関ヶ原の戦い
三成さん率いる西軍の実働はせいぜい2,3万ですがそれぞれが頑張りを見せている様子。実際に戦闘している兵力で勝っているはずの東軍は戦開始から4時間経ったところでも勝利が見えてきません。
「なにゆえ勝てんのじゃ!」
家康さん、すこし苛立っています。
と、そこに上がる一本ののろし。
部下の報告からすると、三成さんの本陣から上がったもののようで、調略の様子が見えている家康さんはそれが東西どちらに付くか揺れ動いている大勢力・小早川秀秋さんに向けられているものであることを瞬時に察知しました。
「どういうことじゃ!」
とさらに苛立ちを見せます。
一方、三成さんの本陣では三成さんが気合を。
「われらが押している!この勢いで小早川が家康に攻めかかれば、我らの勝ちだ!」
長政さんの陣では、石田の陣形が固いことが報告されています。攻めあぐねている、といったところですね。
「三成め、ここまでやるとは」
と歯噛みしつつも文官・官吏だった三成さんの健闘に驚く長政さんですが、そこにのろしの件について、家康さんからの使者が来ました。長政さん少し苛立ちながら
「もし小早川が石田に付くならば、三成ともども我らが討つゆえ、ご案じ召されるな!」
とものすごい剣幕で返事します。
その報告を聞いた家康さん、さすが長政じゃと感心したあと、秀秋さんの陣に大筒の打ち込みを指示します。
揺れる中納言
秀秋さんの陣では、黒田からの目付とも言える大久保猪之助さんが
「何故徳川さまにお味方されませぬか?」
と秀秋さんに尋ねます。家老の平岡頼勝さんは
「いつ戦(いくさ)するかは当方で決めること。口出し無用じゃ」
猪之助さんは引かず
「お約束を違える(たがえる)おつもりか!」
秀秋さんは弱気な表情でうつむいてます。そりゃそうだ。石田とも密約結んでるんですからね。
と、そこにドスン!という轟音とともに何か大きなものが着弾したような衝撃。爆発物ではありませんでしたがものすごい衝撃でした。
それは徳川からの催促ともいえる大筒でした。立て続けに数発撃ち込まれ、秀秋さんの本陣の兵士たちはずっこけまくりです。
ビビった秀秋さん。
「家康が、怒っておる!頼勝!!」
「は。手はず通りに!」
あまり慌てていない頼勝さん。迷える秀秋軍、ついに東軍に付きます。
小早川勢が!
のろしを上げて秀秋さんの進攻を待つばかり、と思っている三成軍。
「小早川勢が動きました!」
との報告に
「やっと応じたか・・・」
と胸をなでおろす三成さんですが、その直後の次の報告に全身の毛が逆立つような衝撃を受けます。
「申し上げます!小早川勢はお味方を攻めております!!」
ここまでこのドラマで静かな男だった三成さん、最高最大の衝撃で叫びます。
「裏切ったかぁっ!!!!!!」
鬼の表情。
秀秋さんが家康さんに付いたことで東軍は一気に攻勢となりました。長政さんの軍も三成さんの本陣に迫ります。石田軍をはじめ西軍は総崩れ。三成さん自身も刀を抜きますが近習に「お引きください!」と促されます。
しかしそこに「三成ぃ!」と差遣で三成さんを睨み据えているのは長政さん。怖い表情しています。
「逃すな!追え!!!」
と叫ぶ長政さん。三成さんが腰かけていた床几(簡易腰かけ)も黒田軍に蹴散らされ、石田軍、潰走。
残念
その数日後の九州・豊後。急きょ集めた兵士も膨れ上がり立派な勢力に成長した如水軍がそこにありました。
采配を振るう如水さん、鉄砲隊が敵の出ばなをくじき、槍隊・弓隊が援護することで快進撃です。
どこぞの敵城も陥落しようという押せ押せムードの中、沈痛な表情を浮かべて如水さんの元に訪れたのは、如水さんの第一の家臣・栗山善助さんでした。
「どうした、善助」
と声をかける如水さんに
「大阪より、知らせが・・・」
手紙を渡しました。
受け取って読んだ如水さん。そこに書かれていたことは、これまでの如水軍の快進撃の根っこを奪い去る報告でした。
東軍にせよ西軍にせよ、短期決戦で勝ってしまうと「豊臣家の内部抗争」の構図であった戦争が終わることで乱世ではなくなるため、天下取りの戦いが単なる逆賊になってしまうのです。選択肢は、さっと身を引くしかない、ということです。
まさか関ヶ原の戦いが一日で終わってしまうなんて・・・。
善助さん、涙を浮かべながら
「すべて、終わりました・・・」
如水さんの背中も泣いています。
家康、ご苦労である
上にも書いたように「豊臣家に良くない者を除くための戦」であった関ヶ原の戦い。勝者は当主の豊臣秀頼さん(と生母の淀の方)に大阪城で労われることになります。もっとも、淀の方は圧倒的に負けた石田三成側の人だったのですけれどね。
「こたび逆賊を討ち果たしたこと、大義であった」
今でいえば小学生の秀頼さんがかわいらしく家康さんを労います。
「ありがたきお言葉。すべては豊臣家の御為」。
淀の方も、本心ではありえない労いの言葉を家康さんにかけます。
「この二月、大阪城を乗っ取られ、生きた心地がしませなんだ。徳川どのが追い出してくださり、ホッとしております」
家康さんが返します。
「逃げていた、三成・恵瓊・行長はすべて捕えておりまする」
淀の方がどうなさるおつもりか、と尋ねると
「打ち首の上、三条河原に晒そうと存じまする」。
淀の方、そんなむごい・・・と言いたげですが立場上言うわけには参りません。間をあけて
「世を乱した者たちを罰するのは当たり前。されどみな、太閤殿下の家臣であった者たち。できれば・・・」
できれば命だけでも助けたいという気持ちをくじくように、家康さんが言葉をさえぎって話します。
「豊臣家に逆らった不逞の輩を許しては示しがつきませぬ。天下のためにこの家康が成敗いたしまする。逆賊を庇うものも、同罪! よろしゅうございますな?」
確認ではなく恫喝ですね、これ。
「では、これにて」
と頭を下げて退出する家康さんです。
関ヶ原の戦いで大けがを負ったはずの井伊直政さんが普通に参列していたのはご愛嬌ですかね
淀の方
「今にみておれ。秀頼が長じた暁には・・・」
果たして、秀頼さんが長じるまで豊臣家が安泰でいられるのかどうか、ですよね・・・。
敗軍の将
捕えられ、さらし者にされている石田三成・安国寺恵瓊・小西行長の三人。勝った東軍関係者から、文字通りのさらし者になっています。
つばをかける者もいる中で訪れた長政さん。
長政さんはまず、恵瓊さんと話します。恵瓊さん、豊臣秀吉さんが「中国大返し」をして明智光秀を討ったときから黒田とは盟友で、今回初めてたもとを分かった形。そして勝ったのは東軍・長政さんということで、長政さんも心中複雑だったでしょう。
「恵瓊殿・・・。こたびばかりは、見通しを誤りましたな」
「まさか、吉川・小早川。ともに調略していたとはなぁ・・・。ははは。さすがは如水どのの息子。あっぱれじゃ」
長政さん、多分「如水の息子」って言われるのあんまり好きじゃないと思うのですよね。あんまり勝ち誇った顔もしていません。
隣を見ると小西行長さんはぶつぶつとイエス様イエス様的な何かを繰り返しつぶやいています。もう心が壊れてしまっているみたい。
そしてその隣にいるのが三成さん。目の前に立った長政さんは
「石田殿。お主とは遺恨もあったが、このようになったからにはすべてを水に流そう」
そう言って自らの陣羽織を三成さんにかけてあげました。武士の情けですね。
「黒田殿。望みを絶たれた某だが、憐れみなど無用にござる。わが想い、如水どのだけはわかってくれよう」
ここでも如水さんの名前が・・・。
この3人は洛中を引き回された上で六条河原で処刑されました。
52万石
後日、家康さんの屋敷に呼び出された長政さん。家康さんからは格別のご褒美がありました。
筑前52万石!
「52万石!?」
これで黒田も、大大名の仲間入り、家康さんの今後とも頼むぞ、という言葉にも言葉が出ない感激です。
家康さん
「如水どのは九州でずいぶんと骨を折ってくれたそうじゃが、もう十分じゃと、お伝えくださらぬか?」
如水さんは西軍の城を攻めていたので、受け取り方によっては徳川のために戦っていたとも取れますからね。
島津家以外はほぼ収めた如水さんですが、すべて放棄して中津に戻りました。
本当の天下泰平が訪れたかもしれず、おそらく中津で如水さんと長政さんはそこらへんの話をしています。
「家康さまは私の武功第一と、手を取って褒めてくださいました」
脇差も拝領したようです。
如水さん、そこで長政さんに言います。
「長政、内府殿(家康)はお前の手を取ったというが、それはどちらの手じゃ?」
「右手にございますが」
「その時お前の左手は何をしておった」
「左手・・・(はっ!!)」
穏やかでない如水さんです。家康さんを仕留める余裕があったのではないか、と暗に指摘しているかのようです。
如水さん、戦としてはあきらめたけれど、天下はあきらめきれなかったんですねえ。
負け申した
大阪城の家康さんに呼び出された如水さん。家康さんはもう上座に座り、城主の振る舞いです。
「面(おもて)を上げられよ、如水どの。隠居の身でありながらの御登り、大義であった」
如水さんは
「ご挨拶が遅くなり、申し訳ござりませぬ。こたびの関ヶ原での大勝利、執着至極に存じまする」。
家康さんが労います。
「せがれ殿の働きのおかげじゃ。如水どのにも助けられた。九州での働きは比類なきもの。畿内にて、望み通りの所領を差し上げたいと思っているがどこがよろしいか?
こののちはわしのそばにいて、天下の政(まつりごと)の指南をお願いしたい」
如水さん、それには直接答えず、本音トークを仕掛けます。
「それがし、九州にて天下を夢見た。我らの間で、建前は不要かと」
家康さんは発ち、如水さんとの距離を詰めます
「お主をほしいといったのは、建前とは言いきれんかもしれんぞ。九州での、お主の妙な動き、内心ヒヤヒヤしておったぞ。三成が最後に言うておった」
三成さんの回想シーンに移ります
「武運拙く敗れ、天下を正すことかなわず。無念でござります。されど、天下を争うことができたこと、本望にございました」
シーンは戻って、如水さんが訪ねます。
「こののち、徳川どのはどのような世をおつくりなさるのか、お聞かせ願いたい」
如水さんの関心ごとはまさにそれです。そもそも秀吉さんに与したのも、秀吉さんなら戦乱の世を終わらせられるから、という期待があったからです。戦乱を終わらせ、黒田が生き残れることが大切だったわけですので、次の天下人・家康さんが太平の世をどのように作るかは興味深いわけです。
家康さんはじっと如水さんを見据えながら答えます。
「天下は、それを治めるにふさわしい者が治めるのが良い。されど、天下は、一人の天下にあらず。天下は、天下の天下なり。わしが死んでも争いの起こらぬ泰平の世を作る。それが、わしの望みじゃ」
「私利私欲のためではない、と」
という如水さんの確認に対して
「ああ、そなたに約束しよう。」
如水さん、家康さんの考えに大きく納得しました。
「それがし、生涯戦で負けたことはござらぬ。されど・・・」
といって頭を大きく下げたあと
「こたびは内府様に負け申した。負けて悔いはなし。そう思うておりまする」
家康さんも
「忌憚なく話ができて、良うござった。息子に、超えられたのう、如水どの。跡継ぎに恵まれ、うらやましきことよの」
如水さん、にこりとします。「ありがたきお言葉・・・」
家康さん、如水さんの肩をたたき、これで二人の会話は終了。おそらく二人の今生の別れでしょう。
別れ
筑前に移った黒田家は、博多に近い所に福岡城を建てました。最初の吉報は、長政さんに跡継ぎの男の子が生まれたこと。如水さんの妻で長政さんの母・光(てる)さんは、如水さんから預かった名前を伝えます。名は「萬徳」。萬の字は如水さんも幼名(萬吉)でつけていた一文字です。
家康さんは征夷大将軍に任じられ、江戸に幕府を開きました。関ヶ原の戦いから約3年後の事です。ここから約260年にわたり江戸時代が続くわけですね。
京都の、豊臣秀吉さんの正妻・北政所さんの屋敷に如水さんが訪れました。家康さんと話してからやく3年後の如水さん、せき込んで体調がよくなさそう。
「徳川さまが将軍になりました」
「徳川どのは着々と手を打っておる。いまだ豊臣の天下を夢見ているのは淀殿、それに清正(加藤清正)・正則(福島正則)くらいです。清正・正則は今になって、徳川どのに味方したことを悔やんでおる」
「もはや徳川の天下は盤石」
「淀殿の目を覚ます手立てはないものか・・・」
「大阪城に居る限り、あの方の目が覚めることはございますまい」
「まことに・・・頼りになるのは城ではなく人だというのに・・・」
翌年、長政さんと善助さんが如水さんの元を訪れます。如水さん、さらに調子が悪そう。
「長政・善助、よう参った。入れ。」
二人が入ると
「今日は、お前に話しておきたいことがあるのじゃ。4年前、関ヶ原の折、わしは九州で天下の夢を見た。だが、その夢もわずか一日で敗れた。ほかならぬ・・・」
といって長政さんをゆっくりと指差した後
「お前の働きによってじゃ」
「父上・・・」
と何か言いかける長政さんを制した如水さん、
「見事であった。」
如水さん、初めて長政さんをほめました。
「お前は、立派に黒田家を守った。あれで良かったのだ。・・・長政」
力無く長政さんに近寄った如水さん
「お前は、あのときお前はわしを超えた」
そっと長政さんの頬に手を添えます。
「嬉しかったぞ」
涙を流す長政さん。
「子に超えられるというのは、悪いことではない。わしはな、もう死ぬであろう」
長政さん、やっと「何をおっしゃいます」と話しますが
「あと、2月といったところじゃ。長政、家臣や民の声によくよく耳を傾けよ。そして、信じろ。わしには善助がいた。わしと善助は心はいつも一つであった。お主にもそういう者がいるはず。」
と長政さんへのメッセージを伝えたあと、善助さんに声をかけます。
「善助、前へ。長政、あれを」
大振りの箱から出てきたものは、赤合子の兜でした。
「善助、お主にこれを授ける」
「いえ、これは、これからも大殿が被り続ける兜にございます」
「この兜はな、わしじゃ。わしの魂を、お主に託す」
善助さん、涙腺崩壊。見ている僕もここで涙腺崩壊。
「いやじゃ、お別れなどしたくありませぬ!」
「お主には、感謝しておる。すまぬ。・・・先に逝く・・・」
長政さんも涙をこらえきれません。
1604年3月20日。如水さん臨終の床です。
「・・・そろそろじゃ・・・」
「大殿が逝ってしまわれたら、生きる因(よすが=頼りとするところ・手がかり)が無くなってしまいまする」
と涙ながらに語るのは善助さんとともに如水さんを支えた母里太兵衛さん。
朦朧とした表情の如水さん、光さんを呼び、
「一向に・・・悔いが思い浮かばぬ・・・」
泣き笑いながら「はい」と返す光さん。
若かりし日の回想シーンが流れます。
「お前が妻で良かった」
「殿の、お傍にいられて、私は天下一の果報者にござりまする」
如水さん、床の回りにいる皆に対して
「世話になった・・・」
と話し、一筋の涙を流した後に目を閉じ、力をなくしてうなだれます・・・。戦乱の世を生き抜いた黒田如水、ここに大往生。
その後
如水の死から11年後の1615年。大阪夏の陣。
「すでに金銀も使い果たし、堀もない。そなたたちに頼るしかない。何卒、あの憎き家康を討ち果たしておくれ」
とずっと変わらぬ発言をしている淀の方に
「皆の者、頼んだぞ」
と口添えするのが成人した豊臣秀頼さん。
秀頼さんが頼ったのは関ヶ原の戦いで所領を減らされ、召し上げられた元西軍の浪人たち。なぜかその中に、長政さんの家臣であった後藤又兵衛さんもいました。又兵衛さん、如水さんなきあと長政さんと対率して出奔してしまっていたんですね。
「後藤殿、此度は最後の戦となりそうじゃな。此度は黒田長政殿も出陣されるようじゃぞ。仲たがいして出奔したとはいえ、かつては兄弟同然として育ったと聞いておる。できれば黒田の軍勢とは戦わずに済めばよいのう」
と同僚の武将から声をかけられた又兵衛さん、何か思いつめた表情を見せます。
大阪城の攻防戦で奮闘する又兵衛さんですが鉄砲に討たれ、倒れます
「大殿・・・」と叫んだあと「これが黒田武士の心意気じゃあ!!」と叫びながら、さらに縦断を浴びてしまいます。
一方で長政さんの陣で。
「道明寺のあたりで大阪軍と戦いになっておりましたが敵は総崩れ。敵の大将は後藤又兵衛どのにございます。もはや、勝負あったかと」
と長政さんは報告を受けます。
「大義であった」と下げた長政さん、
「父上、某が至らぬばかりに、又兵衛を死なせてしまいました・・・」と悔やみます。
最後の時を迎えた大阪城。助命嘆願がかなわなかった大坂方は、淀の方も疲れ切った表情で
「もうよい、私は今まで小谷・北ノ庄と二度の落城を味わいました。この大阪城だけは決して落ちぬと思っていたが、浅はかじゃった・・・」
と落胆。
「向こうで・・・太閤殿下が待っておられる」
と話した淀の方、懐剣を抜き、「さらばじゃ」と笑ったあとに首をついて自決しました。
何かに向かって手を合わせる北政所さん、そして本陣の家康さん。
「終わったか・・・如水、お主と約束した『戦なき世』がようやく始まるぞ」
福岡で尼になっている光さんに話しかける長政さん。ようやく乱世が終了したんですね。庭には黒田家の家紋にもなっている藤の花が咲き誇っています。
そこで光さんが見たのは、藤の花をじっと見つめる如水さんの幻でした。
振り返り、光さんの方を見ます。
「殿、よく生き抜かれましたなぁ」
黙って、ニッと笑う如水さん。
軍師官兵衛、完。